日本の証券市場の歴史を総まとめした『証券市場誕生!』 日本取引所グループに編纂の裏側を聞く(前編) (3/4ページ)

新刊JP

そこで私たち実務家側が論文を読み込んでいくことで、「どうやら実際に金融市場として機能していた」ということが分かり、一般書の中に初めて書いたということです。

――この本の編纂作業はかなり時間がかかったのでは?

石田:構想から1年半ですか。実は半年前に出版する予定で進めていたのですが、正確性が大事なので専門家から何度もチェックを受け、ほとんど書き換えの指示が入ることもありました。

――どういうところでNGが出たのですか?

石田:もともとは、金融市場は日本で3回「誕生」している、つまり、3度の節目があったというものをコンセプトにしていたんです。江戸時代の堂島米会所、明治初期の東京株式取引所、そして戦後の東京証券取引所という3つの「誕生」ですね。

ところが、ほとんど書き上げたところで、堂島米会所の誕生とその後の2つの証券市場の誕生は、学問的に連続した事象であると言い難いという指摘が入りました。「3度の誕生」と言うには、それらがすべて連続していないといけません。

――コンセプトを揺るがす重大な指摘ですよね。でも日本取引所グループ名義で書く本ですから、配慮が必要と。

石田:難しかったです。まずは正しい情報を出していくことが大事ですからね。でも、先ほど言ったように、もともとは小説仕立てで書きたいと思っていたので(笑)、この本を読んで、誰かが小説にしてくれると嬉しいです。

――約300年の証券市場史を振り返ると、さまざまな人物が出てきます。例えば日本資本主義の父として知られ、東京株式取引所の設立者の一人でもある渋沢栄一は、やはりその歴史の中心にいるわけですが、石田さんが気になった人物はいますか?

石田:これは断トツで「糸平」、田中平八ですね。江戸末期から明治初期に活躍した相場師です。実は、糸平についてはあまり詳しい資料が残っていなくて、ただいろいろな場所に名前が出てくる。

一緒にこの本の編纂をしていた仲間が最初に糸平の資料を持って来た時、私は「この人物は調べる必要がないな」と思ったんです。ただ、その後、いろいろな人の関わりの中で「糸平」という存在が出てくる。また、研究者や専門家に話を聞いてもやはりみんな「糸平」を知っている。

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