ジャニーさんが信じられなかった?亀梨が反発心を持ったワケ (1/2ページ)
今月23日、KAT-TUN・亀梨和也が32回目の誕生日を迎えた。18年もソロ活動は好調で、現在は主演連ドラ『FINAL CUT』(フジテレビ・関西テレビ系)がオンエア中。誕生日当日には、初のフォトエッセイ集『ユメより、亀。』(集英社)を出版した。さらに、KAT-TUNとしては、田口淳之介が脱退したのを機に、16年5月をもって充電期間に突入していたが、今春ついに再始動。4月18日に、ドラマの主題歌『Ask Yourself』をリリース。その2日後(20日)から3日連続で、“聖地”東京ドームで復活ライブを開催する。
KAT-TUNイチ多忙なのは、やはり亀梨。スポーツ番組のキャスター、CM、ドラマ、映画、ラジオはすべて、ソロの仕事。グループの金看板といっていい。芸能人になってしかるべき運命にあったと思えるが、意外なことに、本人は少年期、その気がまったくなかった。
ジャニーズ事務所に入所したのは98年。ちょうど20年前だ。4人兄弟の3男で、将来の夢はプロ野球選手と信じて疑わなかった。地元の東京都江戸川区の軟式野球では、世界大会出場の枠内に選ばれたことがあるほど、腕は確かだった。ところが、12歳のとき、親せきのお姉さんが勝手にジャニーズ事務所に履歴書を送付。その年の末にはもう、KinKi Kidsの東京ドーム公演のステージに立っていた。
快進撃はその後もとどまるところを知らず、翌99年には、伝説の学園ドラマ『3年B組金八先生』の第5シリーズのオーディションを突破。13歳という実年齢より少し上の、中学3年生の生徒役だった。クラス内では最年少。学友には、3歳年上で事務所の先輩にあたる俳優・風間俊介がいた。01年に、グループを結成。その5年後に、歌手デビュー。初シングル『Real Face』は、いきなりミリオンヒットとなった。
脇目も振らず疾走した20年間。しかし、入所当初はまだ、野球少年とジャニーズ研修生の2足のワラジをはいていた。そのころは、ジャニー喜多川社長のことをスパイだと思っていた。なぜなら、ジャニーさんから、「YOUは学校ではあんなに先生とケンカするのに、ジャニーズ来るとマジメにやっちゃってんの?」と、ヒヤリとすることを言われたからだ。