天皇に即位したか否かが長年議論されてきた幻の天皇と廃れた古墳の話 (6/8ページ)

心に残る家族葬

『源氏物語』ばかりではなく、『竹取物語』(平安時代初期の成立)のかぐや姫も同様である。そしてこのような話を全国各地に伝えたのは、「ほかいびと」(巡遊伶人。じゅんゆうれいじん)と言われる、神仏の信仰やそれにまつわる話芸を伝えることを生業とし、全国を経巡る人々だった。彼らは何代にも渡って、話や歌を全国津々浦々に「撒布」した。それが繰り返される中、時代を経て、その地の過去の事実として、人の心に起き直ってきた。しかもそうなるためには、土地の地名と関係を結んで出てくることが必要だったという。御塚古墳も、日本人の多くが好んだ、何らかの罪を犯した尊い人物の落飾話がいつしか、「長慶天皇」と結びついて、「御陵」と見なされるようになったのかもしれない。

とはいえ、現代を生きる我々は、古く、荒廃した古墳に対して「長慶天皇の御陵」という「伝説」を付与し、それを語り伝えていた碓井の村人たちのことを、無知蒙昧だと笑うべきではないだろう。何故なら、何もかもが「解明」された今を生きる我々ですら、ストーリー展開や人物造形において「ワンパターン」「ありがち」だと心のどこかでわかっていても、本来高貴な身分であったにもかかわらず、自らの罪か、または周囲の誰かに陥れられ、不慣れな世の中をさまよい歩くといった、苦難の運命を背負わされた主人公を描いた韓流ドラマ、ディズニーやジブリのアニメ、ロールプレイングゲームなどに深いシンパシーを寄せ、カタルシスや明日を生きる力を得ているのだから。

■考古学者の森浩一は…

考古学者の森浩一は、『日本書紀』や『古事記』に描かれた、悲劇の「敗者」の立場から歴史そのものを読み直すことで、さまざまな地域の隠された歴史を掘り起こすことになるかもしれない。そしてその地域の人々に勇気を与えることができるのではないかと、「学校の教科書」「受験で問われやすい内容」「世間の一般常識」の範囲の中で語られてきた日本の古代史の読み直しを提唱している。古代史に限らず、「長慶天皇」に関しても、更なる「読み直し」を試みたなら、もしかしたら、架空の「伝説」ではなく、本当に吉野から流れ流れて福岡の碓井に落ち延びてきたのが「事実」になる可能性がある。

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