三遊亭好楽VS林家正蔵「襲名トラブル」で遺恨再燃(2)名跡を巡って過去にひと悶着

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三遊亭好楽VS林家正蔵「襲名トラブル」で遺恨再燃(2)名跡を巡って過去にひと悶着

 それにしても香葉子さんがなぜ、ここまで林家一門の名跡にこだわるのか。そこには、好楽と林家を巡る遺恨があったこととも無関係ではない。

「そもそも好楽が最初に入門したのは、他ならぬ林家一門でした。最初の師匠は八代目林家正蔵(のちの彦六)でしたが、師匠の死去により、圓楽一門会に移籍。五代目圓楽の弟子として改名し再出発した経緯があり、現在は『三遊亭』を名乗っている。それだけに、海老名家の“林家正蔵”という名跡へのこだわりは周囲の考えている以上に強く、正蔵由来の“九蔵”という小さな名前ですら管理下に置きたいということでしょう。ある意味、初代三平が“前座名前”のまま活躍し、鬼籍に入ったことで、伝統のある名跡へのコンプレックスが膨れ上がったのかもしれません。好楽サイドも『根岸には、あとで一度ご挨拶にうかがったほうがいいですかねえ』という感じで、特に危機意識がなかった」(寄席関係者)

 さらには九蔵のみならず、正蔵の名跡を巡って、ひと悶着があったことも、今回の騒動の遠因になっているという話もある。

「かつて、先代の林家正蔵の名跡が空き家になっている時に、柳家小さんの名前をもらえなかった、のちの彦六が正蔵の名前を三平から借りるという事態になった。結局、三平の死後、正蔵の名前を返して彦六を名乗るようになったが、やはり一門の名前が簡単にやり取りをされたことに対する苦い思いを知るのは香葉子さんだけ。しかも先代の正蔵は今の正蔵の祖父にあたるわけですから相当の思い入れがあるでしょう」(古参の落語関係者)

 さらに現在では、「笑点」や市民ホールなどで開かれる落語会などでも、落語協会と圓楽一門の共演など珍しくなくなったが、70年代後半から80年にかけて起きた落語協会の分裂騒動の遺恨は今もなお、古参の落語関係者の間ではタブー視されているのも事実なのだ。

「78年から80年にかけての落語協会分裂騒動の際、初代三平を筆頭にした林家一門は退会派の主流だった五代目圓楽一門から再三誘いを受けていたが、賛同しなかった。香葉子さんはそれを間近で見てきただけに、思うところがあったかもしれません」(タニマチ筋)

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