天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 羽田孜・綏子夫人(下) (2/2ページ)

週刊実話

夫が東京での生活が中心になることから、妻は選挙区に居住し、選挙区を“守る”というのが通例だが、綏子は一貫して夫婦が一緒に住むことに固執した。夫婦同居のワケを、当時の新進党担当記者は次のように言った。
 「綏子夫人は、常々、言っていた。『選挙、政治のために夫婦がバラバラで生活するのはやはり不自然です。私は東京生まれ、選挙区のことはよく知らないのに、知らぬ者が長野の選挙区に張り付いていたら、かえって夫の足を引っ張ることになりかねないから』と。もっとも他陣営からは『地元をないがしろにしている』と責め立てられたと言います。一説に、羽田がもし浮気でもしたらと心配で同居したのではとの声もあったが、まったく違いますね」

 なるほど、羽田にはもう一つ「石部金吉」の異名があった。女性に関しては、何ともカタイのである。
 「家での夫妻は、互いに『つとむさん』『ママさん』と呼び合っていたほどのなんとも仲のよい夫婦だった。その日あったことは何でも夫人に話していた愛妻家の羽田は、浮気などできる男ではなかったのです」(前出・新進党担当記者)

 多忙な羽田と夫人が共有する時間は朝の食事時だけ。綏子は羽田の健康には気を配った。玄米のおかゆを常食に、霊芝茶と玄米の粉を豆乳で溶いた“特製ジュース”は欠かしたことがなかった。
 そんな羽田を綏子はどう見てすごしてきたのか。次のような言葉が残っている。
 「私はまず、主人を人間として尊敬しています。夫を尊敬できることは妻としてとても有難く、素晴らしいことだと思っています。もっとも、主人が私を尊敬していたかは分かりませんが。ただ、人づてに入ってくる話では、『とても頼りにしているんだ』ということでしたが」

 羽田はその短い政権で、小選挙区制の定着を軸とした「政治改革」に思いをはせたが、志半ばで断念を余儀なくされた。
 「サラリーマン出身として“普通の言葉”で国民に語りかける手法はよしとするものだったが、持ち前の人の好さが災いした。トップリーダーとしての重みが、もう少し欲しかった。小沢一郎に軽く見られたことも大きかった」(当時の新進党同僚議員)

 夏物スーツの両袖を途中から切った「省エネ・ルック」で胸を張った羽田は、昨年8月、82歳で没した。竹下派時代、当時、小沢一郎とともに腕力を発揮していた金丸信(元副総裁)は言った。
 「平時の羽田、乱世の小沢(一郎)、大乱世の梶山(静六)だな」
 時の政治状況いかんでのトップリーダーとなる“資質”を指摘したものである。=敬称略=
(次号は、村山富市・ヨシヱ夫人)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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