玉木正之のスポーツ内憂内患「『日本体育協会』名称変更の意義とは?」 (1/2ページ)
4月2日。海の向こうでは大谷翔平が見事にメジャー初登板で初勝利した。
3ラン・ホーマーを打たれて3失点したが、味方のエンゼルス打線がそれ以上の得点をあげてくれたので勝ち星が転がり込んだとも言えるが、6回を投げて3失点は先発投手として合格だ。
しかも4日前の開幕戦では8番指名打者として初打席初安打も記録。ベーブ・ルース以来のメジャー二刀流選手の誕生と騒がれた。
日本のプロ野球も開幕しスポーツの話題満載の季節を迎えた。そんななかで、マスメディアにはほんの小さくしか取りあげられなかったが、地味ながら見落とせない出来事もあった。
それは「体協」の略称で誰もが知っている「日本体育協会」が、今年の4月1日から「日本スポーツ協会」と名称を変更したことだ。
そもそも日本体育協会は1911(明治44)年に、柔道の創始者である嘉納治五郎が初代会長として、「大日本体育協会」という名称で創立された。それは明治42年に嘉納治五郎がアジア人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となり、オリンピックへの日本選手団の参加を念頭に、国内のスポーツ界を統轄する組織を創る必要に迫られて誕生したものだった。
そして日本のスポーツ界は、翌12年の第5回ストックホルム大会に、嘉納治五郎を団長に2名の選手(マラソンの金栗四三と陸上短距離の三島弥彦)の参加を実現させたのだった。
その後、大日本体育協会は日本のスポーツ界を統轄する団体として1940(昭和15)年の東京オリンピック招致に成功するなど、日本のスポーツ界を牽引してきた(しかし戦争激化のため返上。代替地だったヘルシンキも戦争のため開催中止となった)。
戦後も64年の東京五輪を成功させるなど、日本のスポーツ界の中心としての役割を果たしてきた。が、2011年、東京五輪時に生まれたスポーツ振興法に代わってスポーツ基本法が誕生。アマチュア・スポーツだけでなくプロ・スポーツやパラリンピック・スポーツ(身障者スポーツ)も含む発展を目指し、スポーツ庁が新設された経緯がある。
と同時に、「体育」という名称の見直しが検討されるようになった。