歴史に秘められたニッポンの「陰謀論」を解け!(2)戦国武将たちの「俗説」を問う (1/2ページ)
公式な記録資料がなく、子孫の思惑によって「描かれる」ことも多い戦国武将の合戦絵巻。研究家たちが、歴史を動かした謀略の裏側を論破する。
たびたび映画やドラマの題材になり、戦国マニアならずとも関心が高いのが「本能寺の変」(1582年)であろう。京都・本能寺に宿泊した主君の織田信長に対し、家臣の明智光秀が「謀反」を起こして襲撃した一件である。
これまで数多くの「黒幕説」が浮上した。朝廷や第15代将軍・足利義昭をはじめ、徳川家康、毛利輝元、羽柴秀吉などの名前が並ぶ。あるいは「光秀と秀吉」など共謀説も、無数の組み合わせで浮上する。
大胆な説を唱えたのは、ミステリー作家・鯨統一郎氏だ。著書「邪馬台国はどこですか?」の中で、精神的に追い込まれた信長の「自殺説」を主張する。かなり飛躍した見立てだが、それほど「本能寺の変」が歴史上、最大のミステリーと言われるゆえんである。
そして全ての「黒幕説」に異を唱えるのは、日本中世史の博士号を持つ呉座勇一氏だ。ベストセラーとなった「応仁の乱」に続く近著「陰謀の日本中世史」において、いわゆる“俗説”を論破。
〈イエズス会は信長の天下統一事業を軍事的・経済的に支援した。しかし信長は自己神格化を図るなど、イエズス会からの自立を志向するようになったため、光秀を動かして信長を討たせ、さらに秀吉を動かして光秀を討たせた──。このイエズス会黒幕説の最大の問題は、イエズス会が織田信長に援助を行っていたことを裏付ける資料が全く存在しない点にある〉
呉座氏は、それならば「黒幕は宇宙人」と言っているのと同じレベルと、手厳しい。
これらのことを踏まえ、光秀の謀反に「黒幕は存在しなかった」という結論にたどりつく。
〈強いて言えば織田信長の油断によって条件が満たされた。したがって、突然訪れた好機を逃さず決起したという突発的な単独犯行〉
これが結論である。そして歴史は光秀を討った秀吉から、徳川家康の天下へと移る。