百人一首に歌を取り上げられた天皇にはある共通点があった:平安時代編 (2/3ページ)
陽成院
筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
(画像出典:Wikipedia-陽成天皇)
13番目の歌の作者である第57代天皇の陽成院は、清和天皇の第1皇子として869(貞観10)年に誕生しました。天皇に即位したのは876(貞観18)年、わずか9歳の頃でした。まだ子供ということで、母・藤原高子(たかいこ)の兄にあたる藤原基経(もとつね)が摂政となりました。
ところが陽成天皇の在位中、彼の乳兄弟の源益(みなもとのまさる/すすむ)が宮中で殴殺される事件が起こります。この事件に陽成天皇が関与していた、または天皇自身が起こしたという噂が立ったため、摂政の基経は彼を退位させ、仁明天皇の皇子である光孝天皇を新たに擁立しました。
退位時の陽成院は数え年で17歳(満15歳)、崩御されたのは80歳の時ですので、上皇歴65年という歴代最長記録を打ち立てました。