戊辰戦争に散った新選組・土方歳三と隻腕の志士・伊庭八郎の友情 (1/3ページ)
明治2年5月18日は戊辰戦争終結の日です。その目前、降伏を待たずに命を散らした2人の幕臣がいました。1人は言わずと知れた新選組の鬼副長・土方歳三。もう1人は歳三の昔からの親友であり、遊撃隊の隊長だった伊庭八郎です。今回はそんな彼らの友情と死に思いを馳せます。
新選組結成前から親友八郎は天保15年(1844)生まれで、歳三より9歳(数えでは8歳)年下の青年でした。実家は幕末4大剣術道場の1つ、心形刀流の宗家。子供の頃は読書の方が好きで「剣術はあんまり・・・」という控えめな性格だったものの、10代半ばには持って生まれた剣術の才能が開花。妖異的な俊敏さから、彼は「伊庭の小天狗」と呼ばれるまでになります。
そんな八郎は何らかの縁から、新選組メンバーと交流するようになります。
流泉小史「新選組剣豪秘話」によると、伊庭八郎は天然理心流の試衛館道場に3日もあけず遊びに来て、歳三ほか近藤勇、沖田、永倉らと蕎麦を食べていたといいます。特に歳三とは馬が合ったらしく、勇の父・周助にお小遣いを貰っては2人で吉原遊廓に通ったという話もあります(真偽に関しては諸説あり)。歳三にとって近藤勇は無二の親友でしたが尊敬する存在でもあり、悪所通いに誘える対象ではありませんでした。そういう時には悪友・八郎の出番。八郎は当時からイケメンで有名だったので、歳三と2人で吉原を歩けばさぞやモテた事でしょう。
戊辰戦争での再会やがて歳三らは上洛し、新選組を結成。一方の八郎は江戸に残り、幕臣子弟に剣術等を指導する講武所の教授に。離れた地で互いに幕府のために奔走していた2人でしたが、くされ縁とはこの事でしょうか、再び巡り会う事になるのです。
1868年、旧幕府軍VS新政府軍の戊辰戦争が京で勃発。連戦連敗でしだいに追い詰められた歳三ら旧幕府軍は戦いを重ねながら北上し、ついに北海道箱館に到達します。その地で、くしくも後から箱館に渡ってきた昔馴染みの八郎と再会したのです。
しかしその時にはすでに、八郎の左腕から先は無くなっていました。箱根における小田原藩との戦闘で深い傷を負い、切断したのです。