昭和時代の娯楽の王様だった紙芝居屋のおっちゃんはいったい何者だったのか? (3/4ページ)
なかでも飴売りは派手だったといいます。奇抜な衣装を身につけて街頭を歩き、楽器を奏でたり歌を歌ったりしながら飴を売りました。
そのスタイルは実に多種多様でした。代表的なものはチャルメラを吹く「唐人飴売り」、落語の題材になった「孝行糖売り」。その他、江戸時代なら「念仏飴売り」「奥州人土平」、からくり人形を操った「鎌倉節飴売り」などなど。
根岸鎮衛の随筆『耳袋』などの書物にも飴売りの様子が記録され、鈴木其一をはじめ画家たちもその姿を描きました。

鈴木其一『飴売り図』(唐人飴売り)
文明開化後も飴売りの姿は見られ、写真も残されています。提灯や旗を刺した大きなたらいを頭に乗せ、太鼓をたたきながら歩いた「よかよか飴売り」は、インパクト大です。
こうした飴売りは江戸時代から明治時代にかけて全国に広まり、昭和の前半まで各地で見られました。主に子どもの人気を集めたようです。
紙芝居屋は、そんな路上の飴売りの末裔といえる存在でした。
子どもは紙芝居屋をどう見ていたのか飴を売ることが商売だったと聞いて、意外に思われた方も多いと思います。
では、子どもの頃に実際に紙芝居を見ていた人々は、紙芝居屋をどうとらえていたのでしょう。
現在70歳代の、昭和20年代の第2次紙芝居ブームを体験した人に話を聞いたところ、「紙芝居屋=飴屋」という認識はありませんでした。話をまとめると「太鼓の音が聞こえたら、とにかく駆けていった。そういや、おじちゃんは飴をくれたなぁ」という、おぼろげな記憶だけが残っているそうです。
その他の証言を読んでも、個人差はありますが、当時の子供たちの間で「紙芝居屋=飴屋」という認識は薄かったようでした。
「あれ、話が違うぞ」と思われるかもしれません。しかし戦前~戦後に紙芝居制作に関わった人々の証言によれば、「飴を買った子どもに紙芝居を見せる」というシステムだったこと自体は間違いありません。あくまでも「飴の売り上げ」が収入源だったのです。