ヒデキと私と:ロマン優光連載109 (3/4ページ)
ヒデキの洋楽カバーによって洋楽ロックにたどり着いた私前後の世代のミュージシャンも多いと思いますが、それ以上にそのワイルドさ(『寺内貫太郎一家』でのアクションも含む)によって私は私の好きなロックにたどり着いたのです。
「ヒデキそこまでダサいか? ツイストの世良の方がダサかったよ」 中学生、高校生になるとパンク/NW系を中心に音楽を聴いていたわけですが、それ系統の雑誌ではダサいステージ・アクションの例としてヒデキの名があげられることがありました。それを見る度に「ヒデキそこまでダサいか? ツイストの世良の方がダサかったよ」と心の中でつぶやいてました。今考えると、子供とはいえ、世良さんに大変失礼なことを思っていたものです。自分がプンクボイのライブ中にマイクスタンドを使ったアクションを好むのも、幼少期に見たヒデキの影響が原点にあるのは間違いないことだと思います。
ヒデキの死のショックが大きかったのは、物心ついた時にヒデキを「お兄さん」だと認識してたのもあります。いつまでたっても、どこかでヒデキを青年のままに捉えてしまっていたのです。子供の時から「おじさん」「おばさん」「おじいさん」「おばあさん」だと認識してたスターが亡くなった場合は、ショックを感じていても、年長者というところで納得してしまうところがあります。しかし、ヒデキは感覚的には「お兄さん」のままなんで、理不尽に感じるところが大きいのでしょう。実際にも、亡くなるには早すぎる年齢ですが、ヒデキのイメージというのは私の中でそれぐらい変わってなかったのでしょう。二度目に倒れた後のヒデキの姿をテレビで見た時も、たとえ半身マヒの症状や呂律が回らなくなっていても、やっぱりエネルギッシュでパワフルなヒデキだったのですから。
私の幼少期において重要なパートを占めていたヒデキ。その死は、自分の幼少期を過ごした昭和中期から後期という時代が本当に遠くなってしまったという実感を私にもたらしました。そして、人生の中での色んな局面で出会い、大切に思っていたものが今まで以上の速度で失われていくんだなという想いもまた深く感じています。私がヒデキという私にとっての最初のヒーロー、最初の指針であった人に対して今思うこと。それは大きな感謝です。本当にありがとうございました。