ヒデキと私と:ロマン優光連載109 (1/4ページ)
ロマン優光のさよなら、くまさん
連載第109回 ヒデキと私と 突如飛び込んできた西城秀樹さんの訃報。それによって受けたショックの大きさに、自分でも気付いてなかった自分の中での西城さんの存在の大きさを初めて意識させられ、様々な思いが胸をよぎっています。二回目の脳梗塞で倒れた後もリハビリに励み歌い続けていた話も知っていましたが、特に普段意識することもなく過ごしていたのに、こういう事態になってみると喪失感の大きさに立ちすくむばかりです。
西城さん、いやヒデキと呼んだ方がしっくりときます。たとえば、ジミヘンをジミ・ヘンドリックスさんと呼ぶのが私の中でなんだか不自然なのと同じで、やっぱりヒデキはヒデキなのです。なぜならヒデキはスターなのですから。
ヒデキは同時代のスターの中でも幼少期の私にとって少し特別な存在でした。物心ついてからというもの、「私が生まれて初めて歌ったのは二才の時の『傷だらけのローラ』だ」という話を両親から聞かされていたからです。
私の母方の実家は広島なのですが、近所に住んでた人がヒデキのお父さんの経営してるパチンコ屋さんで当時働いていただか、前に働いていただかで、その縁でヒデキの等身大くらいのポスターを近所の家に配っていたそうで、母方の実家にもそれは貼られていました。妹の出産で里帰りした母に母方の実家に連れられていった二才の自分は、そのヒデキのポスターを見て興奮したのか、ポスターの前で『傷だらけのローラ』を何度も歌っていたそうなのです。ちなみに、その近所の人はドラマーであったヒデキの影響で家の中にドラムセットを組んで練習して近所にあきれられてたそうです。
親の話だと、二才当時の私が良く口にだしていた言葉は「ローラ」「ヒデキ」「ダイモンウカカ(当時の特撮番組『電人ザボーガー』の主人公・大門豊のこと。口が回らないため、こう発音していたらしい)」の3つ。ヒデキはスターだからわかりやすいですが、なぜに『電人ザボーガー』に二才の私はまっていたのでしょうか。物心ついた時にも『電人ザボーガー』のレコードは家にあったので、かなり気に入ってたのではないかと思います。ヒデキと大門豊の共通点は格好が派手なのとワイルド。