天才テリー伊藤対談「川中美幸」(4)ご主人との出会いは中国だったの!? (1/2ページ)
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テリー伊藤
テリー 実際に「ふたり酒」がヒットしたと感じたのは、いつですか?
川中 予算がないから、たすきをかけて電車に乗っていろんなところへキャンペーンに行ったんですが、パチンコ屋さんの前を歩いた時やスナックで打ち上げをしている時に、有線放送から「ふたり酒」が流れてくるのを聴いた時ですね。もう、うれしくて。
テリー お母さんも喜んだでしょう。
川中 実家に帰ると、官製ハガキが高く積み上がっているのを母が隠すんです。聞いたら、父が「ラジオ局にリクエストしてんねん」と(笑)。見たら、電話の横に有線放送の電話番号がいっぱい書いてあったんですよ。本当に親ってありがたいなと思いましたね。
テリー そんなお母さんも昨年92歳でお亡くなりになられて。介護もご苦労だったみたいですね。
川中 88歳の時に急性心筋梗塞で倒れたんです。すごく元気な人だったので驚きました。でも16時間の手術にも耐えて、頑張って4年間生きてくれましたから。それはもう「ありがとう」と伝えたいですね。
テリー 今はご主人と二人暮らしですか? 昔から仲のいいご夫婦ですよね。
川中 今もそこに座っていますよ(と同行のスタッフを指さす)。「着物図鑑」も彼がプロデュースしてくれたんです。
テリー ご主人は、元テレビ局のディレクターだそうですね。
川中 そうです、関西テレビの東京支社で働いていました。
テリー すごいな。僕もそうだからわかりますけど、一ディレクターが川中さんみたいなビッグネームを口説くなんて普通できないですよ。なんで結婚することになったんですか?
川中 もう30年ぐらい前ですけど、チャリティーコンサートで中国へ行ったんですね。