雨宮処凛の『90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。の巻』を読んで:ロマン優光連載110

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雨宮処凛の『90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。の巻』を読んで:ロマン優光連載110

ロマン優光のさよなら、くまさん

連載第110回 雨宮処凛の『90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。の巻』を読んで

 雨宮処凛さんが書かれた『90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝』というテキストが一部で話題になっています。私も読んでみたのですが、本文及び、それに対する反応に色々と違和感を感じました。主題である、「かつて意図的に見過ごしてしまった鬼畜AVにおける女性の扱いや鬼畜系イベントでの女性の扱いに対する落とし前を自分の中でつけなければならない」という部分には全く違和感はありません。個人として必要な問題だと思います。また時代と共に意識をアップデートとしていかなければならないというのも、非常に共感をおぼえます。それらは私にとっても必要とされることでもあり重大な話です。私が違和感を抱いたのは当時の「サブカル」関連の記述です。
 まず、「90年代サブカル」とは言っていますが、鬼畜系はあくまで90年代サブカルチャーの一潮流ではあっても、それがメインであったわけでなく、雨宮さん個人が好んだ領域がそれに偏向していただけに過ぎず、「90年代サブカル」という名称で総括することに非常な違和感を感じました。そこに限らず鬼畜系の説明にしても、なんというか基本的に雑なのです。それが、雑に要約してしまったためなのか、本来対象を雑にしか理解できてなかったからかはわかりませんが。
 一言に「鬼畜系」と言いますが色々な物を内包していました。シリアル・キラーの紹介。ドラッグ・カルチャーや身体改造、アウトサイダー・アートといったアンダーグランドのサブカルチャーの紹介。ゴミ漁りや盗聴といった市井の犯罪の実態報告。死体写真。クーロン黒沢による東南アジアに潜む奇怪な不良日本人たちのレポ。アウトサイダー・アートに倣って言うなら、アウトサイダー思想とも言うべき異常な思想家や思想の紹介(秋田昌美氏の『スカム・カルチャー』は名作でした)。根本敬氏がやっていたような、いわゆる電波系や、性格異常者、底辺労働者、浮浪者、痴呆老人など、当時の社会から見えないものとされている人たちに関するレポ。実験的に極限状態におかれた人間を記録するようなバクシーシ山下氏によるAV。それに近接して悪趣味なジャンル・ムービー、漫画といったもの対する再評価という流れもあったわけです。細かく言うと、鬼畜系と言われてるものの指し示す範囲は曖昧であり、悪趣味系と言うべきものの一部を指す言葉である鬼畜系というものが、悪趣味系全体を指すようになってしまったのだと思います。個人的には全てが好きだったわけではないですが、好きなものもありましたし、影響も受けました。
 90年代、綺麗なもの・清潔なもの・オシャレなものといった幻想の「普通」しか存在を許さない、それ以外のものは存在しないことにしていく、抹消していくという一般的な風潮がありました。それに対するカウンターが根本敬氏や村崎百郎氏の著作であり、世界は別にそんな形をしていない、汚かろうが狂っていようがバカだろうが色々な人間は現に存在する、どんなに否定してもそういうものはなくならない、人間とはそういうものであり全ての人間の中にそういう部分は存在する、そういった認識を読者に与える役割を本来は果たしていたはずなのです。
「普通」しか許されない社会に対するカウンターとしてのそれは、人間全てが糞であるという認識の元による平等性、多様性の容認に繋がるものを内包していたのです。そこに登場する人物を認め、そこに何があるのかを受け手は考えていくべきだったのだと私は思っています。しかし、結局は「そういう変なやつらをバカにして笑おう」「自分のゲスな欲望は何よりも尊重されるべき」「そういう変な奴らを利用して金をもうけよう」みたいな人間たちによって終わってしまったのです。
 雨宮さんの書いている「より鬼畜の方が偉い」という価値観はあくまで雨宮さんをはじめとする受け手やイベント界隈の作った勝手な価値観であり、本来はそういうものではなかったのだと思います。それはフォロワーたちによる卑小な解釈であり、ロフトプラスワンのイベントに集まっていた勘違いした連中が調子にのっていった結果でしかなく、本来のものとは関係のないものだと私は感じてしまいます。その後の雨宮さんの活動などを踏まえて考えるに、彼女は自分の存在が許される場を求めていただけで、文化に対する理解は実はできていなかったように感じてしまいました。だからこそ、同調圧力の中で全てを受け入れようとして苦しんだんだろうなという気がします。本来そこに触れるべきでない人が触れてしまったというか。趣味として、それに対峙し、理解できることができる人間なら取捨選択をしていくはずなのです。AVでもブームというのは本来それに触れるべきではない人、資質として対峙する能力に欠ける人が触れてしまうものですが、そういう例なのだと思います。作品ではなく場が彼女には必要であり、場が大事だからこそAVの不快な表現、それに対する不快な言動に何も言えなくなってしまったということでしょう。私はどちらかというと、そういう人たちにバカにされる「そういう奴ら」に属していましたから、鬼畜系と言われるものに属する作品は好きでしたが、プラスワン界隈のはしゃぎっぷりは不快だったのを思いだします。

サブカルだけを断罪するのはフェアではない

 村崎氏の文章を「社会への呪詛が匂い立つよう」と表現する部分にも違和感があります。確かに氏はゴミ漁りという反社会的行為のレポートから出てきたわけですが、氏の文章は社会に対する挑発的・挑戦的な文言はあっても、基本的に詩的であり、インテリジェンスと他者に対する優しさが滲み出ていて、そんなオドロオドロしいものは最初からなかったように思います。学生時代に友人であるDisgusteensというバンドのドラムをやることになる柳生くんと「基本的に村崎さんって優しいよね」という話を二人でしたのを思いだします。村崎氏は社会に対するオルタナティブな視点を露悪的な言葉で表現していても優しさが滲みでる人であったのです。
 90年代の人権意識というのは、社会全般として恐ろしいくらいに低いものでした。当然ながら、90年代サブカルチャーもその時代の意識から自由ではなく、鬼畜系に限らず、今考えると非常に人権意識が低いわけで、それを「サブカル」の内包する問題点としてしまうのにも違和感があります。それはサブカル無罪というのではなく、社会全般・時代全般で捉えないとフェアでないという話です。30年前の『ディープ・コリア』を指してヘイト本だと言うのはフェアではないし、愚かしいというのと同じですね。まあ、今の感覚で捉えるとサブカル有罪どころか社会全般が全部有罪な気はしますが、それについてすべきなのは糾弾ではなく考察だと思います。
 かつての根本・村崎的方法論はカウンターとしての有効性を失い、その一方で社会はより露骨に「普通」でないものに悪意をぶつけるようになっていっています。鬼畜系がブームになった時に見受けられた悪い側面そのままに。鬼畜系といわれたブームは時代のあだ花ですし、現在では成立しないものでしょう。鬼畜系そのものというより、それを表層的に真似た人たちによる間接的な悪影響が残るだけです。ただ、そのブームの中にそれだけではない何かがあったことは私は忘れたくはないと思います。そして、現在の根本敬氏を、かつての奥崎謙三氏のように誰かが記録しなければならないのではないかと。
 最後に。『テレクラキャノンボール』の話をしてドン引きされるのは、サブカルスイッチとかそういうことじゃなくて、社会性の問題ですよね。90年代だって、鬼畜系べったりの嗜好の人でも、そういう業界で働いてる人でなければ、趣味の話をそれを共有してない人にしないわけで。人権意識がアップデートされない古い感覚で話してしまう例としては変な違和感があるのでした。

(隔週金曜連載)

【編集部注】一部時代性を交えた表現につきましては、当時の「鬼畜系・悪趣味」ブームの説明のみを目的としたものです。ご了承ください。

話題の記事はこちら:「雨宮処凛がゆく! 第447回:90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。の巻(雨宮処凛)」(マガジン9掲載)
http://maga9.jp/180530/

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