天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 小渕恵三・千鶴子夫人(中) (2/2ページ)

週刊実話


 「3区の定数は4。長らく福田赳夫(元首相)、中曽根康弘(元首相)の両大物がいたことで、同じ自民党公認の小渕は『ビルの谷間のラーメン屋』と呼ばれていた。それでも小渕は、初陣はからくも自民公認3人のうちのしんがりで、全国最年少で当選した。以後もしぶとく連続当選を果たしたが、これには2回目の当選を果たしたあと結婚した千鶴子夫人の“人気”に依ったところも大きかった。ふくよかな顔立ち、生来のおおらかさと奥ゆかしさで、“小渕票”を集めたのです」

 初当選を飾ったものの2回目の当選を果たすまで結婚を先延ばしにしたのは、小渕のこの頃からの側近によれば、次のようなことからだった。
 「政界では、よく言われるように2回目の選挙が一番厳しい。1回目は物珍しさや“ご祝儀”で票を入れてくれるが、2回目はそうした目も醒めてしまうことからです。とくに小渕の場合は、『独身』と『ビルの谷間のラーメン屋』という、いささか侘しい“自虐ネタ”で凌いできただけに、2回目もなんとか『独身』を“売り”にしたかったというワケです」

 ラブレターによる猛アタックから4年後、2回目の当選を果たした直後、2人はようやく挙式した。政治家の結婚式は自らのアピールの格好の場とおおむねハデというのが相場だが、後年にして地味な政治家だった小渕のそれは、両家の家族、親戚などが50人ほど集まっただけのなんとも“ジミ婚”であった。
 小渕の地味な性格は、初当選同期の橋本龍太郎(のちに首相)が一足先に厚生大臣になり、同じ中川一郎が早い時期に一派の領袖になったことなどを尻目に、初入閣が初当選からじつに16年目の第2次大平(正芳)内閣での総理府総務長官という、これも地味なポスト就任であったことでも知れる。終生、オレがオレがのタイプの政治家ではなかったということである。

 その小渕が一気に政界の階段を駆け登るのは、竹下が田中角栄の呪縛から放たれ、政権取りに動き出してからであった。
 竹下は田中が脳梗塞で倒れ、再起不能とみるや田中派の大勢を取り込んだ形で竹下派を旗揚げし、まず小渕を派閥の事務総長に起用した。さらには、政権を取ると同時に、内閣の要である官房長官の重責を与えたのである。
 その官房長官時、のちの昭和天皇が崩御、元号の改称を「平成」と発表する重責に直面した。その「平成長官」たる前後、妻・千鶴子にかかる重圧、ストレスも並大抵ではなかったのだった。=敬称略=
(この項つづく)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材48年余のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『決定版 田中角栄名語録』(セブン&アイ出版)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。
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