「被災地を観光する」岩手県陸前高田市【後編】:造成地に未来を描く 陸前高田にかけられた橋 (6/6ページ)

Jタウンネット

最近の歌に、人生を紙飛行機に例えた歌(AKB48『365日の紙飛行機』)があります。わたしはなぜかそれに惹かれました。まっすぐな距離を競うより、寄り道をしながらもどう飛んだかどこを飛んだのかが大切、そんな歌詞を聞いて、ああ自分のやったことは間違っていなかったのだなと少しだけ安心しました」。中丸勝典氏は、3月いっぱいで陸前高田勤務の任を解かれ、無事定年退職となった。

陸前高田は、いまはまだ遠い復興への途上にある。だが、震災から7年という年月が経った街を、まるでラベルを貼って戸棚に放り込むかのように「被災地」と呼び続けることにも違和感がある。この7年の間、住民たちが作り上げてきた「造成地」としての新しい街を、今後いったいどのような色に染め上げていくのか。

「やはり(被災、二次災害による死亡、他府県への移住などによる)人口減少の進行が深刻です。ですから、市としての大掛かりな復興事業を考えることも大事ですが、人口規模を見据えた生活基盤の整備、それからなによりも、そこに住む人々が地元に誇りと愛着を持って暮らしていけるような地域コミュニティの再生が重要だと思います」。

人のこころが離れたらおしまい。東教授の残した言葉が耳に残る。いくら風光明媚でも、人の息吹に勝る観光資源はない。多くの尊い人命が失われたことに改めて深い悲しみを覚えた。【『地域人』(第32号、第33号)(大正大学出版会発行)より転載】

案内役を務めていただいた陸前高田市役所農林課の派遣職員(当時)、中丸勝典氏 案内役を務めていただいた陸前高田市役所農林課の派遣職員(当時)、中丸勝典氏 中丸謙一朗今回の筆者:中丸謙一朗(なかまる・けんいちろう)コラムニスト。1963年生。横浜市出身。マガジンハウス『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。偽善や冷笑に陥らない新たな観光的視点を模索中。全国スナック名称研究会代表。日本民俗学会会員。最近の旬は筋トレと東北泉(山形)。
「「被災地を観光する」岩手県陸前高田市【後編】:造成地に未来を描く 陸前高田にかけられた橋」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る