天才テリー伊藤対談「田中大貴」(1)3%しか伝えられなくて悩みました (2/2ページ)

アサ芸プラス

テリー それはフジにいたままではできなかったの? 例えばブログを書くとか、系列のサンケイスポーツにコラム連載をするとか。

田中 それは難しかったです。産経新聞でコラムを持たせてもらったこともあるんですが、会社の基本的な考え方は「フジテレビのアナウンサーである以上、テレビの中で全てを出してください」。その他の媒体でとなると、なかなかOKは出なかったです。

テリー うーん、そうか。取材は会社の名前と経費でしているわけだし、「そこで得た情報は会社に還元してくれ」という考えもわからなくはないね。

田中 そうですね。あとは数年前から「主任」という役職に就きまして、後進を育てる仕事が増えてきたんです。プレイヤーとコーチ兼任といいますか‥‥。

テリー ああ、管理職になると、だんだん現場は遠ざかっていくよね。

田中 そこにも葛藤がありました、「もっとプレイヤーに専念できないか」と。もしかしたら、社内でやれることだけやって定年を迎えるほうが、よかったのかもしれません(笑)。

テリー まァ、それはわからないけど、俺はいいと思うよ。まだ若いから、それだけ冒険もできるし、吸収するものも多いから。

田中 38歳の頃のテリーさんは、どんな状況だったんですか?

テリー ちょうど「天才たけしの元気が出るテレビ」をやっていた頃だね。視聴率もよくて、ブイブイ言わせていた時だ(笑)。

田中 アハハハ、まだ制作会社にいらした頃?

テリー もちろん。そのあと会社を辞めて、自分の会社を作って。まだ体力もあったし、好き放題やって、仕事的にもいちばんおもしろかった時期ですよ。

田中 そうなんですね、僕もテリーさんみたいになれるように頑張ります。

「天才テリー伊藤対談「田中大貴」(1)3%しか伝えられなくて悩みました」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2018年 6/14号田中大貴すぽると!アナウンサーテリー伊藤エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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