プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「永田裕志」毀誉褒貶にさらされ続けた“ミスターIWGP” (2/2ページ)

週刊実話

ミルコと対戦経験のある藤田和之も、『永田さんなら楽勝ですよ』と言っていたようです」(プロレスライター)
 永田戦の前には、すでに峠を越した感のあった高田延彦と引き分けに終わっているミルコ。この頃の総合格闘技ではレスリング出身選手の活躍が目覚ましかったこともあり、上り調子の永田ならばまさか無様な試合はしないはず、というのが大方の見方であった。

 そんな永田のあっけない敗戦を新日フロントは単なる不運と捉えたのか、永田の“スター路線”はその後も続く。'02年4月に安田忠夫を破ってIWGP王者となると、橋本真也の連続防衛記録V9を上回るV10を成し遂げた。
 「闘魂三銃士以降では、永田が最も質の高い試合をしていたのは事実です。ただ、ファンからすると、やはり“ミルコに負けた”という過去が引っかかる。永田が王者の新日が総合格闘技以下と見られたことは、永田にとっても新日にとってもマイナスとなりました」(同)

 '03年5月の東京ドーム大会で高山善廣に敗れ、王座陥落となった永田だが、そこからさらなる悲劇に見舞われる。
 同年大みそかの『INOKI BOM-BA-YE 2003』において、エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦した永田は、一方的に攻め立てられると、ミルコ戦に続いて秒殺TKOを食らってしまったのだ。
 総帥のアントニオ猪木に頭を下げられて出場を断るわけにもいかず、直前まで対戦相手の決まらない準備不足のまま臨んだのでは、そもそも勝てるわけがない。
 しかし、それはあくまでも楽屋話であり、IWGP歴代最多防衛の永田が総合格闘技戦で2連敗したという事実は、長らく“プロレス冬の時代”が続く大きな原因の一つとなってしまった。

 '05年に新日復帰した長州力は、そんな永田を「天下を取り損ねた男」と評したが、そこから永田は驚異の復活を遂げる。
 '06年の東京ドーム大会、村上一成戦で腕固めを仕掛けた際、永田としては渾身の…しかしてその白目をむいた表情がビジョンに大映しになると、観客から大爆笑が巻き起こったのだ。
 だが、予期せぬ笑いに心折れないのが、永田の強さでありクレバーさ。以降は元からの技術の高さにコミカル要素を加えて、独自の存在感を発揮し続けることになる。
 先の『G1』に加え、全日本プロレスの『チャンピオン・カーニバル』とプロレスリング・ノアの『グローバル・リーグ』という、メジャー3団体のシングルリーグ戦を制覇したのは永田だけである。

 IWGP王者時代には華がないといわれ、総合格闘技でどん底を味わいながら、見事に興行の要として返り咲いた。そんな永田の軌跡こそが、プロレスというジャンルの奥深さではなかろうか。

永田裕志
1968年4月24日、千葉県出身。身長183㎝、体重108㎏。得意技/バックドロップ・ホールド、ナガタロック、白目式腕固め。

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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