現役中に死亡した力士も?横綱の土俵入り不知火型(しらぬいがた)の短命ジンクスはどこから生まれた? (2/3ページ)
1959年に初土俵を踏んだ玉の海は、1970年に、2018年現在も大相撲の解説などで活躍中の北の富士勝昭さんと共に横綱となりました。この時、北の富士が雲竜型、玉の海が不知火型を選択しています。
北の富士とは「北さん」「島ちゃん(横綱昇進前の玉の海の四股名「玉乃島」にちなんで)」と呼び合う仲で、ライバルであり友達でもあるという関係でした。
同時に昇進した2人の横綱が、お互い切磋琢磨しながら活躍したこの時代は「北玉時代」と呼ばれることもありました。
期待されていたのに…現役中に死亡した不知火型の横綱横綱昇進時の審議委員会の評価は北の富士を上回り「大横綱・双葉山の再来か!?」とまで期待されていた玉の海。
しかし1971年7月場所で全勝優勝した前後に、彼は虫垂炎を患います。
虫垂炎と言えば、まず思い浮かぶ症状は「尋常ではない激しい腹痛」。横綱としての責任感が強かった玉の海は、注射で散らしながら9月場所と10月の大鵬の引退相撲に強行出場し、その後手術のため入院しました。虫垂炎は既に腹膜炎寸前まで進行した危険な状態でしたが、手術は無事に成功し、術後の経過も順調でした。
しかし退院を翌日に控えた10月11日の早朝に容態が急変、そのまま亡くなってしまいます。死因は、手術後に併発した肺血栓症でした。
