鳴かぬなら…戦国三武将を表現した有名なあの詩は誰が詠んだか知っていますか? (1/2ページ)
有名だけど誰が詠んだ?
新渡戸稲造の歴史的名著【武士道】を読んでいたときのこと。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康三人の大名の性格を言い表した狂歌として有名な3句が、引き合いとして出されていました。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」(織田信長) 「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」(豊臣秀吉) 「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」(徳川家康)あまりにも有名ですが、そういえば誰が詠んだのかを聞いたことがないなぁ・・・とふと思い立ち、調べてみると「松浦静山」という名前がキーワードとして浮上しました。
第九代平戸藩主・松浦静山とは?平戸藩世嗣・松浦政信の長男として江戸に生まれます。平戸は現在の長崎県ですね。彼が生きた時代は宝暦10年(1760-1841)。静山が生きている間、江戸幕府の田沼意次が老中となったり、天明・天保の大飢饉が起きたり、晩年は大塩平八郎の乱があったり。全国が乱れ、財政が非常に苦しい藩があった時代でもありました。
側室の子だった静山。父が早世し、12歳で祖父の養子となり16歳で家督を相続します。幼い頃から記憶力に優れ学問ができましたが、病弱だったため文武両道を目指し、心形刀流(しんぎょうとうりゅう)免許皆伝の腕前を持つほどになりました。
君主として維新館という大胆な名前の藩校を設立したり(幕府に咎められたが古代中国の詩経の一説です、といって難を逃れたそう)、身分にとらわれない人材登用も行い、藩政改革を成功させます。
蘭学やキリスト教にも関心を寄せたというので、好奇心あふれる殿様だったのでしょう。
あっさり47歳で家督を譲ったあとは、随筆『甲子夜話』を書き綴ります。1821年の甲子の日に起草したあと、20年間書きためた甲子夜話はなんと278巻にものぼります。
ちなみに「こうしやわ」でもなく「きねやわ」でもなく「かっしやわ」と読みます。