マトリョーシカ、スリッパも…実は日本発祥だった意外なものたち (2/3ページ)
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雑学
これは、江戸時代から金沢で親しまれる「辻占」というお菓子が元。金沢では、お正月の時期にだけ食べる縁起菓子として風物詩となっています。
この辻占がアメリカで紹介された場所はサンフランシスコのジャパニーズ・ティー・ガーデン。1894年に行われた国際見本市に造られた日本庭園です。見本市が終わったら取り壊しの予定だった日本庭園を残すよう説得したのが、日本人移民の萩原眞さん。
彼は庭園を手入れする公的な管理人となり、茶屋をこしらえ煎餅など振る舞いました。そこで提供されたのが辻占を元にした辻占煎餅。これが好評を博します。
庭園は、第二次世界大戦中に子孫が強制収容されたこともあり、戦後は中国人の手に渡ってしまいました。そして辻占煎餅の製造技術と文化は、フォーチュン・クッキーとして中華街などのチャイニーズレストランに広まっていったのです。
外国人の「困った」から生まれたスリッパサボやサンダルと似ているその形状から、外国生まれと思いきや、意外にも日本生まれのスリッパ。これ、明治初期に起こったトラブルで生まれた商品だそう。
明治、西洋技術を学ぶべく政府が雇った「お雇い外国人」が続々日本にやってきました。当時西洋式ホテルは少なく、寺や旅籠が仮住まい。彼らは靴を脱ぐ習慣ないため、畳に土足で上がろうとするトラブルが続出。靴を脱ぐよう説得しても、逆に彼らは人前で靴を脱ぐことを恥ずかしく思うため、ほとほと困っていたそう。