流行には流行らせたい側の思惑が存在する?改めて考えてみる「終活の是非」

心に残る家族葬

流行には流行らせたい側の思惑が存在する?改めて考えてみる「終活の是非」

かつて筆者が「しゅうかつ」という音で馴染みがある言葉は就職活動の方だった。今では就活をもじった造語が数多く生み出されている。婚活や友活など例を上げたらキリがない。それらは現代人が能動的に動かなくなったことから、社会が流行にかこつけて集団圧力で働きかける試みなのだろう。中でも一際目を引くものは「終活」という言葉だ。筆者自身耳慣れないこの単語の意味を調べることを踏まえて終活に関する見識を広げていこうと思う。

■終活は縁起でもない言葉?いや、終活を無視したほうが悲惨なことになりかねない。。。

考えてみれば不謹慎な言葉だ。昔は死を縁起でもないものと捉えていたらしい。タナトフォビアといって死の恐怖症を持つ人も存在しているほどだ。ところが少子高齢化となり高齢者が相対的に多くなると死に向き合うことは死活問題となる。特に昨今では一人暮らしの高齢者も増えて、年間で三万人もの孤独死者が出ているともいわれる。独居老人や未婚の男女が近年取り沙汰されるのも拍車をかけているようだ。

現代は死に切実なのだろう。就職活動になぞらえると自分以上に家族や社会のためといった性格が強いように思える。かつては『向こう三軒隣の精神』などと呼ばれ慣習化し、まかり通っていた行事に社会が介入し働きかけるところは就活と似て、コミュニケーション力不足の問題が根底にあるように思う。

■終活が社会にもたらしたもの

実際に『終活』が社会に与えた影響は無視できない。エンディングノートという余生の計画書が一般化したことにより、有意義な老後を送る高齢者は増えたし、高齢者が自分自身と向き合う機会も増えた。何より相続問題や葬儀の手続き、介護医療の希望などを生前に遺族と共有することが出来るようになった。またブームに促されて若者も将来に向けて人生設計を立てる風潮が広まったという。終活が与えた影響は高齢者だけに留まらないのだ。

このように終活は社会に浸透し、より多くの人に良い影響を及ぼしていたのだ。

■終活を調べてみて

筆者は最初、終活に対するイメージは悪いものだった。何かと消費を促す社会の悪徳ビジネスなどと考えていたためだ。ところが蓋を開けてみればそれは必要なことだった。改めて自身の人生を総括する機会など、終活などなければそうそう持てないだろう。そして、それはコミュニケーション不足な高齢者だけが対象ではなく、自分の人生に一生懸命であるほど誰もが見落としてしまうものだ。

筆者にも齢80近くになる祖父母がいる。今回の経験を踏まえて終活について話し合う機会を持てればよいなと思う。



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