あの著名人たちも彼女の虜?明治〜大正時代に大人気だった美しき芸妓・富田屋 八千代の人生 (3/4ページ)

Japaaan

・・」

松下電気の創業者・松下幸之助は、会社を創業する前の職場で富田屋の停電の修理を依頼された際に八千代に「お気の毒」と声をかけられ、茶菓子と祝儀袋を差し出されたとき、顔を真っ赤にしてお礼の言葉も言えなかった…というエピソードを語っています。

八千代、29歳での結婚

そんな八千代が結婚した相手は、日本画家・菅 楯彦(すが たてひこ)。菅が富田屋の芸妓に絵を教えることになり、それがきっかけで出逢い、結婚に至ります。その時、八千代は29才。結婚を機に芸妓を辞め、八千代は本名の美紀子に戻ります。結婚生活では、芸妓の頃についた立ち居振る舞いを姑が嫌い、日々きつく叱られていたそうです。しかし八千代は一切口答えしなかったそう。

当時、楯彦の友達であった谷崎潤一郎はこのような言葉を残しています。「みきさんは、しゅうとめさんの前では、いつも手をついてものを言っておった。慣れない炊事・洗濯で、ひび・あかぎれだらけになりながら、孝養を尽くされた。どんな金持ちや偉い方の奥さんにもなれた彼女の姿に涙ぐむ者は多かった。」

早すぎる死

楯彦と八千代の仲は変わりませんでしたが、結婚から7年後の大正13年(1924年)に、八千代が腎炎を患い、帰らぬ人となってしまいました。37歳という若さで。

13才で芸妓の道に入り、その美貌と人柄の良さでまたたく間に全国にその名が知れ渡るほどの名妓となった八千代の人生。

「あの著名人たちも彼女の虜?明治〜大正時代に大人気だった美しき芸妓・富田屋 八千代の人生」のページです。デイリーニュースオンラインは、富田屋八千代芸妓明治時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る