あの著名人たちも彼女の虜?明治〜大正時代に大人気だった美しき芸妓・富田屋 八千代の人生 (1/4ページ)

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あの著名人たちも彼女の虜?明治〜大正時代に大人気だった美しき芸妓・富田屋 八千代の人生

まずこちらの写真をご覧ください。

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これは明治時代後期の芸妓さんの日本髪を紹介した古写真です。この古写真の中に「富田屋 八千代」と書かれたものがいくつもありますよね。この写真に写っているのが今回紹介する、大阪の名妓として活躍していた富田屋の八千代です。

大阪の芸妓といえば富田屋 八千代

八千代は本名・遠藤美紀子。13歳から芸妓の道に入り、明治時代〜大正時代にかけて大阪で活躍。その名は全国的に知られた存在で、日本三名妓の一人とも評された程でした。(日本三名妓:東京の万竜、京都の千賀勇、大阪の八千代)

その八千代の当時の写真がこちら。

とっても美しいですよね。当時もその容姿が人気で、多くのブロマイドや絵はがきが作られました。当時、現在で言うところのミスコンのようなものも開催されており、芸妓さんがエントリーするミスコンなどもありました。ですので、当時は芸妓さんがアイドルや女優のような役割も担っていたのかもしれませんね。

日本で初のミスコンは明治時代。
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