財宝が埋まっているとされていた横浜市旭区にある「密経塚」を調べてみた (1/5ページ)

心に残る家族葬

財宝が埋まっているとされていた横浜市旭区にある「密経塚」を調べてみた

神奈川県川崎市では6月15日までに、両の頬に赤い発疹ができる感染症、通称「リンゴ病」こと、「伝染性紅斑(こうはん)」の患者が増えたことから、9年ぶりの流行発生警報を発令した。この感染症は「ヒトパルボウイルスB19」が病原体で、患者は主に就学前後の子どもが多く、最初は風邪のような症状が出る。感染後4〜15日に発疹が出て、咳やくしゃみなどで人から人へと広がっていく。また、成人が感染すると頬の発疹に加え、関節痛や頭痛など、関節炎に似た症状が出るとされている。

■疫病は、その正体が明らかになる前までは、一種の呪いや祟りとして信じられていた

今日では「リンゴ病」に限らず、麻疹やインフルエンザ、または病原性大腸菌O157などによる集団食中毒が何故発生するか、そしてそれらの蔓延を、どう阻止すればいいか、などの知識を我々は当たり前に持っている。しかしそれは、ドイツの医師ロベルト・コッヘ(1843〜1919)が1880年代に発見した、病の源こと「病原体」である「細菌」の存在、更に1920年代に発展した、人と病原体とを取り巻く環境・社会・文化を研究する疫学という学問が体系化されてからのことである。それまで長らく人々は、先に挙げたような病の原因を神罰、悪霊、呪い、祟り、またはその人自身の過去の罪の結果…などに求めていたのである。そうした考え方によって、病を「治す」ために、古代においては、政治的かつ宗教的に超絶的な力を持つ支配者による祭祀が行われていたのだ。

■疫病が呪いの一種であると考えられていた最古の資料は古事記、日本書紀

例えば日本においては、古くは『古事記』と『日本書紀』の中で、第10代天皇の崇神(すじん)天皇(紀元前148〜紀元29年?)の治世において国中に疫病が流行り、多くの民が死んだ。そこで天皇は祭祀を行い、疫病蔓延を阻止したという記述がある。『古事記』によると、その際天皇は斎戒沐浴し、神意を問うた。ある夜の夢に、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が現れ、「この病は自分の祟りである。意富多多泥古(おおたたねこ)という者に私の霊を祭らせたならば、祟りは止んで、国は安らかになるだろう」と告げた。その夢を受けた天皇は、諸国に人を遣わした。すると河内国の美努村(みのむら。

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