まるで学級崩壊!?鎌倉幕府のユルすぎる法律、そしてフリーダムな住民たち (2/3ページ)

Japaaan

そのため、同じ法律が何度も出されるなど、あまり守られていなかった形跡が、条文の中から見て取れます。
例えば、こんな法律。

「編笠をかぶって鎌倉のなかを通行することを禁止するようにと、前に命じたところである。ところが、保(※引用者註:京都に倣って定められた、鎌倉市街の細かな行政区域)の奉行人どもの怠慢により禁止が徹底していない。これよりのちは、厳重に禁止する」(※1)

原文:「可停止之由、同先度被仰下之、而奉行人等緩怠不制止歟、自今以後、固可加禁断也」(※2)

これは弘長元(1261)年2月20日に出された追加法『関東新制条々』の一つですが、現代では考えられない緩さです。

他にも、建長三(1251)年には

「『小町屋』と『売買の設』(※引用者註:いずれも仮設の商業施設。多くが無許可)は、日ごろから禁止してきたところであるが、今日からは以下の七カ所以外の場所では一切禁止する」(※1)

原文:「小町屋及賣買設之事、可加制禁之由、日來有其沙汰、今日被置彼所々、此外一向可被停止之旨、厳密觸之被仰之處也……」(※2)

など、もう「どうせ、みんな守らない」事が前提となっているとしか思えないような法律が出されています(きっと、今回もあまり守られない模様)。

もちろん、口先ばかりでなく、時折実際に取り締まってはいたようですが、やっぱりみんなこっそり、そしてなし崩し的に破っていったのでしょう。

このように「みんな守ってくれないので、繰り返し似たような内容の法律が出される」のは、中世における法律の残念な特色と言えます。

何だか「クラスをまとめようと苦労している学級委員」みたいですね。

まとめ

自分で出したルールを把握し切れていなかったり、ルールを出しても守ってくれなかったり……。

幕府も幕府なら、庶民も庶民……色んな意味でフリーダムな皆さんですが、こうした緩さの中に、当時の大らかな空気を感じるのは、筆者だけではないでしょう。

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