【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第14話

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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第14話

前回の13話はこちら。

【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第13話

■文政七年 夏と、秋(6)

後の月の九月十三日。

清明な月の下を訥々と歩いて、佐吉は一人、吉原遊廓を訪れた。

画像 広重「江都名所 吉原日本堤」ボストン美術館

佐吉が引手茶屋の座敷に揚がってしばらく待つと、紫野花魁が障子を開いて入ってきた。

佐吉は座敷に揚がった花魁に杯を差し向け、甘い声を出した。

「花魁、今日こそ二人で一緒に月を見てくれるかえ」

「あい、もちろん」

みつは明朗に笑った。訊きたい事もあったが、胸の奥にそっと蓋をした。

「では早速、月見と洒落込むか」

佐吉はそう言うと、青簾の外を眺めるのではなく脇にあった荷を解いた。

「何をしていんす」

「俺たちの月見は、この荷の中だぜ」

「え?」

「この中に、月が宿っていンのさ」

前回、月見の日に国芳がみつの事を描いた絵が、錦絵として刷り上がったのである。

版元の江崎屋と近江屋の旦那の意見が合わずに兄さんも苦心していたが、なんとか今日に間に合ったぜ。佐吉はそう言って中身をひらりと一枚、みつに手渡した。国芳「あふみや紋彦」国会図書館蔵

みつは無造作に渡されたそれを受け取り、一目見るなり、黙り込んだ。

「どうだえ」

「・・・・・・・・・・・・」

手渡した絵の中で、みつがしどけなく横座りしている。背後には連子窓があり、青竹の柵の隙間から月の光が差し込んで、画面いっぱいに放射線状に広がるさまが、陰翳(かげ)によって巧みに示されている。その広がりが絵にいのちを吹き込み、迫真性を持たせた。

(あたしがいる)

とみつは思った。

(あたしの陰翳が、床に落ちてる)

(あたしの背中に差しているのは、これは、光・・・・・・?)

「面白いよ」、

静かに口を開いたみつの表情を見て、佐吉は思った。

この女の笑顔は月の光よりも、江戸の朝を照らす太陽よりも、ずっと眩しい。

「この絵、面白い。あたし、知らなかった。光って、こんなかたちなんだね」

みつはすっかり遊廓言葉(さとことば)を忘れて、少女のように可憐な声で言った。

ずっと、人とは違う世の中を生きているような気がしていた。

廓内(さと)に生まれ、色覚を失くし、目が弱いために昼間のお天道の光は見れず、夜になってようやく外に出てみれば娑婆から流れ込んで来る見ず知らずの男や女に毎日「綺麗々々」と指を指され・・・・・・。

それは千切れ雲のようにふわふわと頼りなく、自分というものがこの世に生きながらこの世にないような、闇の夜を目隠ししたままあてもなく歩いているような、ぞっとするほどの寂寞であった。

しかしこの国芳の絵の中に、光がある。

国芳「あふみや紋彦」国会図書館蔵

「本当言うと、ちっとも期待してなかったよ」

みつは、顔を上げた。

「だってあの人、正月の凧の絵付けもいつも豊国とか国貞の二番煎じみたいな絵を描くんだもの。これだって、別段上手ってわけじゃないよ」

でも、とみつは言った。

「不思議だね、この絵は特別」

「この絵一枚があれば、あたしはもう、この先どんな真っ暗闇だろうと迷わず進んでいけるって思えちまうんだから」。

「あの人に」、

と切実に訴えかけたみつの瞳は、美しい月を閉じこめた水面のように青く澄んでゆらゆら揺れていた。

「国芳はんに、そう伝えてくださっし」・・・・・・

佐吉は頷いたが、本当はその必要はなかった。

実は、国芳はこれを隣の部屋で聴いている。

佐吉に任せて外で待っていようと思ったのだが、矢も盾もたまらずこっそり隣室に通してもらったのである。

国芳は、みつの一言を噛みしめながら拳を固く握っていた。

(一歩だ、)

と思った。

これでようやく、はじめの一歩を踏み出したと。

色覚を失ったみつが面白いと思う絵、みつに温度を伝える絵、みつの五感に触れる事のできる絵。

近寄る事すら許されなくなったあの春の日以来、部屋にこもりひたすらそればかりを探し求めてきた。

葛飾北斎の挿絵本、唐本屋の古びた唐本、文字も読めない西洋新聞の切れ端、亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)の銅版画。はした銭が入るたびにそんなものを収集して眺め、考えては描き、描いては考えた。

そうして考え抜いた果てに、国芳は浮世絵にはほとんど描かれたことのない陰翳(かげ)を取り入れた。

西洋の新聞の挿絵や田善の銅板画に細やかな線で陰翳が付けられているのを眺めていた時、ふと裏茶屋でのみつとの逢瀬の光景を思い出したのである。

あの日、桐屋の連子窓から絶え間なく差し込む陽光が床に縞状の放射線を描き出していた。

嫌がられるのを承知で画題にあの場所を選んだ理由は、

(あすこならば、少しゃアおみつに何かを伝えられる絵が描ける気がした)・・・・・・

陰翳を描きたかったわけではない。

むしろ、その反対だった。

光のかたちを、描きたかったのだ。

色覚が無く光の苦手なおみつにも見え、そして手に触れる事もできる、温かな光を。

作中イラスト:筆者

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