疑似的な恋愛ゲーム感覚の和歌の応酬。枕草子のやりとりを探る:藤原行成 編2 (3/3ページ)
(清少納言)「夜をこめて鳥のそら音にはかるとも世に逢坂の関はゆるさじ
心かしこき関守侍り」
(行成)「逢坂は人越えやすき関なれば鳥鳴かぬにもあけて待つとか」
「枕草子」(校注・訳:松尾聰・永井和子「新編日本古典文学全集」/小学館より)
清少納言が「夜が明けないうちに鶏の鳴きまねで函谷関の関守をだましても、逢坂の関(私の恋の関)はそんな嘘で許すような守りではありませんよ。私は守りがかたいのです」と贈ったのに対し、行成は「逢坂は人が越えやすい関なので、鶏が鳴かなくても門を開いて待つ人がいるそうですよ」と返します。
超訳すれば、「あなたは誰でも受け入れる尻軽と聞いたけど?」というような下品な歌。さすがの清少納言も、これには圧倒されて返事もできなかった、といいます。
和歌で恋愛ゲームを楽しむこのやりとりは実際恋人関係にある二人の恋のやりとりというより、疑似的な恋愛ゲーム感覚の和歌の応酬と捉えられます。清少納言の「夜をこめて」の歌は百人一首にもとられ、後世にも広く知れ渡る有名な歌。「史記」を引用するあたりもとても巧みですよね。
こうした冗談のなかにも清少納言の賢さが光ります。
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