源頼朝の家紋は「無紋」?頼朝と言えば笹竜胆だけど…。鎌倉武士の家紋文化 (2/3ページ)
「平氏が滅亡して世はみんな白旗(源氏の味方)なので、紛らわしいから印をつけなさい(意訳)」
そう言って満月を描いた五本骨の扇を下賜して旗頭につけさせた(佐竹氏の家紋・佐竹扇の由来)とも言われますが、それ以来、他の御家人たちも白旗に家紋を描くようになったそうです。
このエピソードは、単に識別のみならず「無地の白旗を掲げる資格がある『源氏の嫡流』はあくまで自分一人なのだ」というメッセージであったとも言われ、義経公はじめ、多くの源氏一族を粛清して権力基盤の確保に必死だった頼朝公の焦燥感が偲ばれます。
つまり、鎌倉武士の家紋とは頼朝公が御家人たちにつけさせたもので、自らは「無紋(白無地)」をシンボルとしていました。
「マークなんか無くたって、俺が誰だか判る筈だ!」
そう言わんばかりの傲慢っぷりに、いっそ清々しさを感じてしまいますが、まさに「天下人の境地」を体現していたのでしょう。
笹竜胆の家紋は誰が?
揚洲周延「勧進帳(部分)」より、着物に笹竜胆の柄を忍ばせることで、源氏の縁者(義経公)である事を表現。
頼朝公の家紋が「無紋」なのは判りましたが、では、笹竜胆の家紋は誰が使っていたのでしょうか。笹竜胆の家紋を用いていた源氏と言えば村上源氏が有名で、頼朝公の一族である清和源氏では、あまり多くありません。
ちなみに、笹竜胆の家紋を用いていた著名人には、曹洞宗の開祖である道元禅師(村上源氏、久我山竜胆紋)や、明治期の外遊使節団で有名な岩倉具視(村上源氏、笹竜胆紋)などがいます。
(※『~源氏』とは、その天皇陛下から枝分かれした子孫を意味します。