天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 福田康夫・貴代子夫人(下) (1/2ページ)

週刊実話

 「政治家にはなりたくなかった男」福田康夫が首相に指名されたとき、実に71歳であった。前任首相の安倍晋三が「体調」を理由に政権を“放り投げ”、安倍が若すぎたことも自民党内の“反省”につながった形で人生経験を買われて高齢の福田への期待感ということのようであった。

 しかし、官房長官時、担当していた政治部記者のこんな証言が残っている。
 「安倍晋三が大キライで、安倍が小泉(純一郎)内閣の副官房長官のとき怒りが爆発、副官房長官室に乗り込んで『コノヤローッ』と机を蹴飛ばしたことがある。あとで、安倍は『あんなに蹴って足は大丈夫だったのかナ』と苦笑していた。よくキレていましたね」
 「官房長官のときは、毎週1回、夜、番記者を集めての懇親会をやっていたが、『完オフ(完全なオフレコ)』だっただけに、“康夫節”は全開だった。首相だった小泉に対しても『純ちゃんは政治というものが、然々分かっていない。要は、政治オンチだ』、あるいは森喜朗内閣に野党が不信任案を提出したときには『間違っているのは、野党のガキどもだ』とも言った。『完オフ』でなければ、失言で官房長官のクビは飛んでいた。“暴言”が、だいぶ出ましたね」

 「完オフ」が漏れなかったのは、貴代子夫人の“内助の功”によるものが大きかったそうだ。これには、こんな証言となっている。
 「番記者との懇親会の日には、夫人は半日かけて記者のために食事をつくっていた。会が終わると、必ず小物のミヤゲを持たせて帰らせてもいた。また、番記者が入れ替わって新しい記者がくると、一緒に雑談に加わってさり気なく記者の“特徴”を取材、写真を撮っては顔と名前を覚えるために手帳にメモを欠かさなかった。こうした気遣いあって、福田は記者から足を掬われなかったのです」

 さて、首相となった福田の政権運営はキリキリ舞いの連続だった。就任早々の防衛庁の不祥事に始まり、年金問題での官僚への国民の不満爆発、小沢一郎・民主党代表(当時)と自民党との「大連立」工作失敗、「高齢者いじめ」とされた後期高齢医療制度の開始などで政権は漂流し、支持率も低落一途だったのである。
 そしての平成20年(2008年)9月、福田は突如首相退陣を表明した。ちょうど、政権発足から1年目であった。

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