マリリン・モンローも!?「宝石の怪談」背筋が凍る呪われた真実

日刊大衆

マリリン・モンローも!?「宝石の怪談」背筋が凍る呪われた真実

 人々の心を魅了する宝石。燦然と光り輝く財宝を所有したいという強い欲望は、時として呪いとなって不幸をもたらす。人類史上で、多くの“死”をもたらした宝石の伝説を紹介しよう!

■魂が宿る“死を呼ぶ”宝石「ホープ・ダイヤモンド」

 物に魂はないけれど、魂が物に取りつくことはあるのかもしれない。「ホープ・ダイヤモンド」の歴史を見ると、そう思わずにはいられない。ダイヤは9世紀のインドで農夫によって掘り出された。青く光る279カラットの石だった。直後にペルシア軍がインドに侵攻。必死でダイヤを握りしめる農夫の手首を叩き切り、略奪していった。

 それから約800年間、ダイヤはぷっつりと消息を絶つ。再び歴史に登場するのは17世紀だ。フランスの旅行家タベルニエがインドの寺院で発見。これを盗んでルイ14世に売りつけたことで、死の連鎖が始まる。

 タベルニエは旅行中、飢えたオオカミの群れに襲われ、無残に食い殺された。ルイ14世は天然痘で死亡。宝石を受け継いだルイ16世は、マリー・アントワネットとともにギロチンで首を切られた。

 その後、ダイヤはオランダ、イギリス、ロシアへと渡り、各地で死をもたらした。狂死、窒息死、落馬死、突然死、射殺など死因はさまざまだが、所有者が不幸な死に方をしたことは共通している。

 20世紀になり、ダイヤはアメリカの新聞王エドワード・マクリーンのものになった。するとマクリーンはアルコール中毒死、息子は交通事故死、娘は薬物死。妻は風邪をこじらせて死んでしまった。

 続いてオーナーになった宝石商ハリー・ウィンストンは事故で4度も死にかけ、事業に失敗して破産。このダイヤを映画『紳士は金髪がお好き』で身につけたマリリン・モンローは謎の死をとげた。

 現在、ダイヤはワシントンのスミソニアン博物館に保管されている。個人の持ち物でなくなったことで、呪いは断ち切られたようにも見える。だが、本当にそうだろうか。

 じつは、ホープ・ダイヤモンドは世界を転々とするうち、2つに分割されたともいわれている。もうひとつのダイヤは今も、どこかで所有者に妖しい“死の光”を放っているのかもしれない。

■不幸をもたらすサファイア「サラスヴァティの涙」

「サラスヴァティの涙」と呼ばれるサファイアがある。サラスヴァティとは、福徳や知恵を授けるというヒンズー教の女神のこと。日本の七福神では、弁財天と呼ばれている。だが、この宝石がもたらすのは福徳でも知恵でもなく不幸である。

 サファイアは19世紀のパリに突然、現われた。それ以前の来歴は一切不明だ。公園を散歩していた実業家に、ジプシーの老女が手渡したといわれている。

 以来、多くの人々がその魔力に恐怖した。原因不明の病気、階段からの転落、交通事故、盗難、火傷……。所有者は例外なく、予期せぬ不幸に襲われた。災難は宝石を手にした瞬間から始まり、手放すと同時にピタリと収まるという。

 サラスヴァティの涙は世界を巡り、日本の国立民族学博物館が所有したこともある。その時期は、バブル経済が崩壊し、ドロ沼の不況へ突入した時にピタリと重なっている。これは偶然なのか。

■フランスの運命を変えてしまった「リージェント・ダイヤモンド」

 17世紀初め、インドの採掘場で410カラットの大きなダイヤモンド原石が発見された。掘り出した奴隷は自分のふくらはぎをナイフで切り裂き、ダイヤを隠して逃走。港で知り合ったイギリス人船長に分け前を渡すと約束して、船に乗り込んだ。しかし、欲に目がくらんだ船長は奴隷を殺害。死体を海に投げ捨て、ダイヤを売ったカネをひとり占めした。船長はその後、発狂して自殺している。

 ダイヤはフランスに渡り、ルイ15世の摂政(リージェント)が購入。その後、ナポレオンの戴冠式を飾った。彼はダイヤを気に入り、自分の剣の柄に入れ込んで持ち歩いていた。やがて失脚し、セント・ヘレナで失意のうちに世を去ることになる。

 このダイヤは今、フランスの国有財産としてルーブル博物館に展示されている。

■王朝を滅ぼしてしまった宝石「オルロフ・ダイヤモンド」

 ロシアのクレムリン宮殿に193カラット、時価30億円以上といわれる「オルロフ・ダイヤモンド」が保管されている。かつてはインドのヒンズー寺院にあったものだ。伝説では、ムガール帝国の王子が「かの石に触れる者に災いあれ」と呪いをかけたという。

 18世紀に寺院から盗まれ、アムステルダムで競売にかけられた時、ロシアの富豪グレゴリー・オルロフが落札。女帝エカテリーナに贈った。オルロフはエカテリーナの愛人だった。女帝はダイヤに魅せられ、王家の宝としたが、ここから奇怪な現象が続発する。

 ダイヤを細工した職人が弟子に惨殺された。ダイヤを管理する侍従、使用人、警備兵らが次々に変死。オルロフも発狂して急死した。彼の最期の言葉は「ムガールの神の呪い」だった。数十人いたエカテリーナの愛人も、ほとんどが怪死している。

 さらに、女帝の死後も呪いは続いた。皇位についた6人のうち、3人が暗殺され、残りの3人も不幸な死をとげた。そしてロシア革命が勃発。皇族は革命軍によって処刑され、ロマノフ王朝は滅んだ。

■男性を破滅させる石「コイヌール・ダイヤモンド」

 5000年以上も前に発見された世界最古のダイヤモンド。コイヌール(光の山)と名前は優雅だが、このダイヤには男たちの欲望と怨念がしみ込んでいる。

 ペルシアのナディル王はコイヌールを奪うため、ムガール帝国に戦争を仕掛けた。残虐の限りを尽くしてダイヤを手に入れた王は、叛臣に暗殺された。王子は、ダイヤの隠し場所を白状させようとする部下に耳をそがれ、手を切り落とされ、両目を抉られた。

 その後、アブダビ王朝では王の弟が反乱を起こし、その弟は息子に裏切られ、追放されている。すべてコイヌールを巡る争いだった。

 血なまぐさい争いが収束するのは1849年、ダイヤがイギリスのビクトリア女王に献上されてからだ。コイヌールは男性を破滅させるが、女性には幸せをもたらすと語り伝えられている。英王室では代々、王妃だけがこのダイヤを身につけている。

■ゴミとして捨てられた奇跡の宝石「マクシミリアン・ダイヤモンド」

 1867年、メキシコ皇帝マクシミリアンは国民の反乱によって捕らえられ、銃殺された。彼がブラジルで購入し、妻に贈った33カラットのダイヤが「マクシミリアン」と呼ばれている。

 メキシコの反乱後、ダイヤは30年以上行方不明になっていたが、20世紀になってアメリカで発見。ニューヨークの宝石商の手に渡った。そして現在、再び行方が分からなくなっている。

 ダイヤが消えた原因は、宝石商の家に侵入した泥棒だったが、盗まれたわけではない。不審者に気づいた娘がとっさに、父の宝石箱を台所のゴミ箱に隠して警察に電話した。泥棒は逃げたが、動転していた娘は隠した宝石のことをすっかり忘れてしまった。思い出した時、ゴミ箱の中身は家族が捨てていたという。

 このダイヤは、人間に所有されることを拒んだのであろうか。

■血塗られた財宝「サンシー・ダイヤモンド」

「血塗られたダイヤモンド」。そんな異名を持つ宝石だ。17世紀、フランスのアンリ4世の命令でこの宝石を運んでいた使者が賊に襲撃され、殺された。だが、使者はダイヤを守ろうと、殺される前に飲み込んだため、奪われることはなかった。

 ダイヤは使者の腹を切り開き、胃袋から血まみれの状態で回収された。これが名前の由来である。

 また、所有者のアンリ3世、アンリ4世がともに暗殺されたことも、ダイヤの不気味さに拍車をかけている。

■清王朝の末期を見届けた真珠「パール・オブ・アジア」

 大きさ76ミリ、重さ114グラムもある巨大な真珠『パール・オブ・アジア』は、清朝最後の絶対権力者、西太后が肌身離さず身につけていたといわれている。西太后は清の第9代皇帝・文宗の側室。すさまじいまでの権力欲にとりつかれ、敵対する者を容赦なく抹殺する冷酷非道な女だった。

 文宗が亡くなると、まだ葬儀が終わらないうちにクーデターを起こし、自分に批判的な重臣をことごとく処刑。幼い息子を帝位につけ、摂政として政治の実権を握った。その後はやりたい放題である。

 まず、夫が寵愛していた美しい側室を捕まえて素っ裸にし、ムチで打ちすえた。白い肌が破れ、血が噴き出した。そして両手、両脚を切断。胴体を酒の入った樽に漬けた。傷口にアルコールがしみ込み、地獄の苦しみにもだえる側室の姿を、西太后は微笑みながら見物したという。

 実の息子である皇帝にも牙を剥いた。成長してやや反抗的になった皇帝が病気になると、治療を受けさせずに放置。衰弱して死ぬにまかせ、5歳の甥を新帝に据えた。

 さらに、夫の第一夫人を毒殺。気に食わない妃を、皇帝の目の前で井戸に投げ込んで殺したりもした。

 およそ半世紀にも及ぶ西太后の恐怖政治を見続けた真珠には、ドロドロとした怨念がギッシリと詰まっている。

■エジプト王の呪い「ツタンカーメンの指輪」

「王の墓を暴いて眠りを妨げる者は、不吉な死に襲われるであろう」 エジプトの王家の谷にあるツタンカーメン王の墓の石壁には、死神アヌビスの像とともに、そんな呪いの言葉が刻まれている。

 この言葉は単なる脅し文句ではなかった。現実に、墓の調査に関わった学者や関係者が、発掘から1年の間に相次いで変死しているのだ。その数、じつに22人。謎の熱病にかかり、「ファラオの呪いが…」とうわごとを言いながら死んでいった者も、ひとりや2人ではない。

 そして現代でも、ツタンカーメンの呪いは続いている。南アフリカに住む女性が、「ツタンカーメンの宝石を返還したい」とエジプト考古学会に申し出た。理由は、宝石のせいで家族を失ったからだという。

 女性によると、問題の宝石は親戚の男がカイロの賭場で考古学者と知り合い、賭け金の代わりに受け取ったもの。男はそれを南アに持ち帰って娘に渡した。

 その後、男は航海中に船が沈没、溺死した。娘は白血病になり、21歳の若さで世を去ったため、遺品として女性が譲り受けた。

 博物館に持ち込んで鑑定してみると、本物だという。女性は嬉しくなり、金の台座をつけて指輪にした。

 すると今度は、自分の娘が突然の事故死。指輪をくれた親戚の娘と同じ、21歳になった年だった。女性は得体の知れない恐ろしさを感じ、返還を決意したそうだ。

 何千年の月日が過ぎようと、呪いは決して消滅することはない。

「マリリン・モンローも!?「宝石の怪談」背筋が凍る呪われた真実」のページです。デイリーニュースオンラインは、怪談歴史事故薬物中国カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧