【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第15話
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【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第14話 ■文政七年 夏と、秋(7)国芳「東都名所 新吉原」ボストン美術館蔵
吉原遊廓からの帰り道を、佐吉と国芳は肩を並べて訥々と歩いた。
「ありがとうよ、佐吉」
五尺八寸のすらりとした佐吉を国芳は見上げて礼を述べた。
「俺ア別に、何もしちゃいねえよ。てめえで渡しゃ良かったのに俺が渡しちまって本当に良かったのか、芳さん」
「・・・・・・いいんでイ」
今はまだ、会えそうにない。
みつのあの、嬉しそうな声音だけで充分であった。
「芳さんは良くっても、花魁はずっと芳さんを待ってるぜ」・・・・・・
「あ?なんつった?」
「いンや、何でもねえ」
ははは、と佐吉は笑い、
「さア、両国橋まで駆け比べだ」
とぱっと下駄を脱いで帯に差すと、はだしで駆け出した。
画像 歌川国芳「あふみや紋彦」国会図書館蔵
少し後の話だが、みつを主体とした錦絵「雪月花の月 あふみや紋彦」はその後、光と陰翳が放射状に広がる面白さでちょっとした話題となり、隅田川土手の近江屋の宣伝に大いに貢献した。
また、国芳が画中の手ぬぐいにこっそり「おみ津」という文字を入れたことから、「このおみつという美人はどこにいるのか」とあちこち探し回る男が出た。かの歌麿の美人絵は、描かれた女がかならず実在したために、当時は本人探しが随分流行った。まさか自分の絵でそれが起ころうとは、国芳はこの時まだ夢にも思っていない。
「おい!てめえ、なんだって急に駆け出すんでえ」
両国橋の真ん中でようやく追いついた国芳は、膝に手をつき呼吸を弾ませながら佐吉をなじった。
「へへへ、俺ア早かったろ」
振り返って破顔した佐吉は欄干から身を乗り出すようにして、何かを隅田川に向かって投げ捨てるそぶりをした。
「あ、大川に紙くず投げやがったな」
国芳は親友の行為を咎めた。
「紙くずじゃねえさ」
「じゃあ何だってんだ」
「思い、さ」
「思い?」
「そ。思い」・・・・・・
初めは、親友の恋路を助太刀するために近づいただけであった。
四月十五日、顔見知りの女郎が格子の奥から吸い付けたばこを差し出してきても脇目も振らず、見た事もない京町岡本屋の紫野花魁を揚げたのは、国芳に頼まれたからに他ならなかった。
北(よしわら)も南(しながわ)も辰巳(ふかがわ)も果ては新宿まで、一通りの女と遊び尽くした佐吉は、今更どんな女が現れても自分は驚かないと思っていた。しかし紫野と出会ってからの自分は、自分でも理解に苦しむほどに想定外の行動ばかりした。
紫野の前でひどく饒舌になった。
約束の十五日が近づくとまるで少年のように浮き足立った。
うっかり気を許して、七月の夜に誰にも言った事のない死んだ姉の事を話した。
姉の事は長い間胸の内にしまっていた事実であった。
一緒に月を見たいと言ったのも、本心だった。
しかし、月見の日に国芳を見つめる紫野の目を見た瞬間、どうしようもなく分かってしまった。
自分は、国芳には敵わないのだと。
先刻国芳の描いた絵を手渡した時ですら、柴野の目に佐吉は映っていなかった。
柴野のつぶらかなあの目は、佐吉の向こうに国芳の姿を見ていた。
(花魁は芳さんに思いっきり、惚れていやがる。・・・・・・)
幸せになってほしい。
はじめて、そんな事を思った女だった。
ずっと、死んだ姉に似ているからだと思っていた。
しかし、今この胸の中にくすぶるものは、既にそれとは違う。
(妬ける)・・・・・・
佐吉はようやく、自分の本当の思いに気が付いた。
(俺ア花魁に、)
いや、と佐吉は思考を止めた。
芽吹いた密かな思いは根っこが生える前に、隅田の大川に向かって投げ捨てッちまおう。
・・・・・・
「さあて、行こう芳さん」
「おう。こっから家までなら、わっちゃア負けねえ!」
今度は国芳が先に下駄を帯に差し、尻をからげて走り出した。
「こんちきしょう!それアねえや」
佐吉は慌てて、後を追いかけた。
歌川芳虎「東都名所八景之内 両国橋秋月」国会図書館蔵
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