もう少し褒めて…。紀貫之が選んだ代表的歌人「六歌仙」、実は結構な勢いでディスられてる (2/4ページ)

Japaaan

僧正遍照は、歌のさまは得たれども、まことすくなし。たとへば、絵にかける女を見て、いたづらに心を動かすがごとし。

「古今和歌集」(校注・訳:小沢正夫・松田成穂「新編日本古典文学全集」/小学館より)

「歌は整っているけど、真実味がない。たとえば絵に描かれた女性を見て心を動かすようなものだ」という内容。歌の内容はいいとほめていますが、そこからはただ貶す言葉が続きます。

続いて在原業平は、

在原業平は、その心余りて、詞たらず。しぼめる花の色なくて匂ひ残れるがごとし。

「古今和歌集」(校注・訳:小沢正夫・松田成穂「新編日本古典文学全集」/小学館より)

「歌に込めた情熱が多すぎて言葉が足りていない(表現が不十分)。しぼんだ花がすでに色褪せているのに香りが残っているようなもの」という評価。在原業平は「伊勢物語」の昔男のモデルとされ、数々の女性と浮名を流した人物です。「心余りて、詞たらず」というのは言い得て妙かもしれません。ただ、情熱的であることはほめていますが、歌の表現に関してはいまひとつといったところでしょうか。

文屋康秀は、

文屋康秀は、詞はたくみにて、そのさま身におはず。いはば、商人のよき衣着たらむがごとし。

「古今和歌集」(校注・訳:小沢正夫・松田成穂「新編日本古典文学全集」/小学館より)

「言葉の表現は巧みだけど、その巧みさと歌の内容はしっくりはまらない。言うなれば、商人が立派な衣をまとっているようなもの」という評価。先ほどの業平とは違って言葉巧みに操る歌人ですが、その表現力と歌の内容がそぐわない、ということでしょう。

喜撰法師は、

宇治山の僧喜撰は、詞かすかにして、始め終りたしかならず。いはば、秋の月を見るに暁の雲にあへるがごとし。

(中略)

よめる歌多く聞えねば、かれこれをかよはして、よく知らず。

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