欧米では地位の低い「翻訳者」 日本でリスペクトされる理由 (3/3ページ)

新刊JP

でもデリーロなどは「文壇のボス」という感じではなくて一匹狼の世捨て人のようにふるまっていますから、中心という感じの中心はないのかもしれません。

――いずれも幻想や妄想というよりはリアリズムの作家ですね。

柴田:そうですね。以前、ニューヨーク・タイムズの記者と話していて、日本ではジョナサン・フランゼンよりポール・オースターの方がずっと売れていると言ったら、「そんな馬鹿な!」という反応でした。あれだけ自由な国ですけど、こと小説に関しては「人生を忠実に写し取るべきだ」みたいな風潮は根強くある。

対して、日本文学の方が現実と幻想が地続きになっているような作品が古くから多くあります。村上春樹さんについて「アメリカ文学のポストモダニズムの流れの中に位置づけるより、『雨月物語』のような幻想世界と現実が地続きになった日本文学の伝統の中で考えた方がいいのではないか」と言った人がいましたが、その通りだと思いますね。

ただ、アメリカでも現実世界と幻想世界の継ぎ目がないような作品を書く人が出てきていて、ケリー・リンクやエイミー・ベンダーなどを読むとアメリカ文学も変わってきたなと感じます。

――その部分では日本文学がアメリカ文学よりも先行している。

柴田:日本文学からの影響があったという話ではなく、あくまで「見た目」の話ですけどね。

最終回 ■「As if there were no tomorrow.」というつもりで につづく

第一回 ■「MONKEY」創刊は「魔が差した」 を読む
第二回 ■「誰もが高度なことをやっていた時代」1950年代アメリカ文学の凄み を読む

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