変わりゆく生活環境に翻弄され、その居場所を失いつつある仏壇
朝起きてお仏壇にご挨拶をする。夜は今日一日の無事を報告し感謝を伝える。それはもう長く続く習慣となっている。何気なくやっているひとつひとつ、当たり前になった日々のおつとめは、ご先祖様と対話し、その繋がりを感じる時間でもある。しかし、永遠に引き継がれていくかのように思われる習慣もいずれ終わりが来る。近年の社会の高齢化、核家族化や少子化が、その問題を浮き彫りにしている。未来永劫続く保証があるのなら、感じることのない不安や焦燥に向き合い、お仏壇を持つことの意味を考えようと思う。
■時代の流れによる供養の変化
お仏壇が普及されるようになる前までは、各家庭には様々な形で祭壇が置かれていた。その後住宅様式の変化に伴い、床の間に仏壇をお祀りするようになった。しかし、今日床の間のない家は多く、またイノベーションやリノベーションにより、床の間の新しい使い方などが紹介されることなどは、お仏壇の始まりを考えると畏れ多い行為と感じてしまう。しかし、様々に変化してもなお、供養という概念が生き続けることは、信仰のあるべき姿が投影されているように思う。
■変わりゆく生活環境に翻弄されるお仏壇の所在
どんな形のお仏壇でも日々おつとめに励み、手を合わせていれば、ご先祖様はさぞかし喜んでくださっているだろう。しかし、そのお仏壇のお世話をする者がいなくなるという現実が、近年増えている。それは冒頭でも述べたように、社会の高齢化、核家族化が原因としてあげられる。嫁ぎ先の家と宗派が違う、老人ホームへ入居する、と現実的な理由は様々だ。やむを得ず手放すとしてもその方法がわからない。お仏壇とはいわば寺院を小さくしたものであり、ご先祖様を感じてきたものである。例えば粗大ゴミとして処分するというのは大層抵抗がある。
■処分への後ろめたさなくそう
しかし、野放しはよろしくない。無関心こそ信仰に反する行いだと思う。では、「仏壇の処分」という現実に直面したときはどうすればいいか。(これはお仏壇に限らず、お墓や位牌にも当てはまる)
新しくお仏壇を置くときに、まず開眼法要を執り行うことです。これにより、お仏壇にはご先祖様の魂が宿り供養の対象となるため、その宿っている魂を抜くための儀式が必要になる。これを閉眼法要と言う。閉眼法要を執り行った後のお仏壇は、‘物‘となり、もはやそこに魂はないゆえに、処分にためらうことはないだろう。ただ、それまで魂を守ってくださっていた、と思うと、簡単には捨てられないのが実情だ。そんな時には、仏具店に相談するのがいい。閉眼法要から一通り引き受けてくれるところもあるようだ。
■これからの供養の形
後先を考えるとお仏壇などを持たない方がいいのだろうか?もともと所有しているのならともかく、新しく購入することは、未来に荷物を残してしまうことになるのだろうか?そういったことから、近年は、手元供養やミニ仏壇など、供養の方法の選択肢が広がる。どれも現代の事情が考慮されていると思う。
そのほか、永代供養という選択肢もある。永代供養というのは、寺院や霊園に供養や管理を任せることであり、生前に自分で申し込めるというのが最大のメリットだ。これは、端的に言えば「迷惑をかけない」という思いが強く反映する方法かもしれない。家族や親族に迷惑を掛けないことが良いとされる風潮は、多少さみしい気もする。しかし、手入れが大変で手を合わせる意味を忘れてしまっては本末転倒である。
■信仰という名の心の在り方
お仏壇は、信仰の象徴であるご本尊様をお祀りし、日々のおつとめを通してご先祖様を敬う心を育むための拠り所のようなものだ。時代の流れによって変化するお仏壇の形に驚きを隠せずとも、仏教が教えてくれるこの世の儚さと様々な価値観を受け入れることで違和感を払拭する。たとえ、信仰の対象物をなくしても、供養する気持ちと感謝の念を持っていれば、それは必ずご先祖様に通ずるだろう。様々な問題を経てもなお、過去から現在へと引き継がれてきた背景にはいつも心がある。有形・無形を考える前に、手を合わせる意味を理解し、ご先祖様と未来へ繋がっていきたいものだ。