鎌倉幕府滅亡のとき、なんと65回もの突撃を繰り返す激戦だった (3/3ページ)

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明記こそされていませんが、建立時期や立地から、洲崎の地で自刃した守時らをはじめとする幕府・新田両軍の戦死者の霊を供養するためのものと考えられています。

ところで“泣塔”という名前の由来ですが、戸部川(柏尾川)より吹きつける川風がやぐらに共鳴して鳴き声のように聞こえるためとか、一度近隣の青蓮寺(鎖大師)に移設したところ、夜な夜なすすり泣く声が聞こえるようになり、祟りを恐れて元に戻した等の伝承があります。

また、時代は下って昭和17(1942)年9月、この一帯が海軍工廠の用地として買収された時、泣塔の丘も壊してしまう予定でしたが、祟りを恐れる住民の要望や、工事中にたびたび起きた怪現象などにより、泣塔周辺だけはそのまま保存され、現代に至ります。

終わりに

洲崎古戦場跡(湘南モノレール湘南深沢駅より筆者撮影)。32ヘクタールの広大な空き地。

現在、この洲崎一帯は32ヘクタールの広大な空き地となっており、鎌倉市による再開発が計画されています。しかし、その中でも泣塔の周囲だけは手をつけず、そのままに保存される方針です。

これを「祟りのせいで、開発から取り残されてしまう」と見ることも出来ますが、泣塔は「かつてこの地で激戦の悲劇があった」ことを伝え続ける縁(よすが)ともなっています。

乗り越えるべき過去がある一方で、忘れてはならない過去も、確かにあります。

今後、この地がどれだけ華やかに発展しようとも、その片隅にはずっと泣塔が佇み、そっと平和への祈りが奉げられることでしょう。

アクセス

※「洲崎古戦場」石碑:湘南モノレール線「湘南町屋駅」から徒歩3分(レールに沿って湘南江ノ島方面へ)
※泣塔:湘南モノレール線「湘南深沢駅」から徒歩3分(深沢多目的スポーツ広場内、付近までは近寄れますが、周囲にフェンスがあり、立入には許可が必要です)

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