平安時代の悲劇のヒロイン、源頼朝の長女「大姫」その悲恋と貞操の生涯(上) (2/3ページ)

Japaaan

かくして大姫は生まれましたが、果たしてそれが良かったのかどうかは、当人のみぞ知るところです。

木曽義高との出会い・儚い幸せ

歌川貞秀『英雄百首』より、木曽義高(清水冠者)。

大姫が許婚・木曽義高と出会ったのは寿永二・1183年のこと。当時、争っていた父親同士(頼朝公と、信州の豪族・木曽義仲)が和睦の印として互いの子である大姫と義高の結婚を決め、義高が鎌倉にやって来たのでした。

当時、大姫は6歳、義高は10歳。その実態は父親同士の政略による「人質」でしたが、大姫にとっては共に将来を夢見る大切な「パートナー」だったのでしょう。

義高と共に過ごした日々は、大姫にとって最も幸せな時期でしたが、そう長くは続きませんでした。

義高・決死の脱走劇

歌川貞秀『英雄百首』より、義高の身代わりとなった海野幸氏。その忠節を頼朝公より評価される。

義高が鎌倉に来てから一年後、寿永三・1184年1月に木曽義仲が頼朝公に討たれると、頼朝公は「将来、父親の仇討ちを企むかも知れないから」と、義高の粛清を考えます。

しかし、身寄りもいない11歳の少年を一方的に殺せば外聞が悪い。

そこで、義高らに「わざと」計画をリークする事で彼の脱走を促し、その上で「謀叛の企みあり」として討つ事にしました。

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