春夏通じて関東地方で最も遅く甲子園大会で優勝した県「歓喜の夏」の軌跡! (2/2ページ)

アサ芸プラス

試合は0‐0で迎えた6回裏に桐生第一が3点、7回裏に1点を取り、4‐0とリード。投げては正田が7回2死まで無安打ピッチングを披露。結局、2安打7奪三振。4‐0の完封劇で強敵を下したのだった。

 続く準決勝の樟南(鹿児島)戦も投手戦となる。正田は7安打を浴びたが要所を締めるピッチングを展開。打線も0‐0で迎えた9回表に相手エースの上野弘文(元・広島東洋)を攻略し、2点を先取。その裏を正田が0で抑えて2試合連続完封劇。こうして桐生第一は県勢初の夏の甲子園決勝戦へと挑むこととなったのである。

 迎えた決勝戦。岡山理大附との一戦では、立ち上がりに正田がつかまり先制点を奪われたが、打線が14安打14得点と大爆発。正田も初回の1失点だけで完投勝ちし、ここに群馬県勢初の全国制覇が成し遂げられたのである。1925年第11回大会に県勢が夏の甲子園初出場(前橋中)を果たしてから実に74年越しの悲願達成であった。

(高校野球評論家・上杉純也)=敬称略=

「春夏通じて関東地方で最も遅く甲子園大会で優勝した県「歓喜の夏」の軌跡!」のページです。デイリーニュースオンラインは、正田樹桐生第一花咲徳栄高校野球甲子園スポーツなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る