この映画がすごい:ロマン優光連載116 (1/4ページ)
ロマン優光のさよなら、くまさん
連載第116回 この映画がすごい 日本のハードコア・パンクの黎明期を記録したドキュメンタリーとしてとらえると『ちょっとの雨ならがまん』にZELDAのサヨコや町田町蔵と人民オリンピックショウ、すきすきスウィッチの佐藤幸雄が出演していることを不思議に感じる人もいるだろう。これは今の感覚で見るから不思議に感じてしまうのではなくて、当時の人たちの方が強く感じたかもしれない。初期の東京のハードコア・シーンというのは、それ以前の旧世代のパンクバンドや他のシーンに対して断絶を図っているイメージが非常に強く、実際は人脈的な繋がりがあったりするのだけど、姿勢としてはそういうイメージを打ち出していた。そういう観点から見てしまうと、本来同じ器に盛られるはずのないものが一緒に盛られてきた気分になる。
しかし、視点を変えてみると、冒頭のナレーションをはじめ、安田潤司監督の演出意図があるパートの多くは「初期衝動とそこから変わっていくこと」についてのものであり、今まさに初期衝動の時代を終えようとしているハードコア・パンクの面々と、そこを通過し変化を続けている最中のサヨコや町蔵が同時に取り上げられるのは監督の中では必然的なものであったということはうかがえる。
そんな中にあって、横山SAKEVIと佐藤幸雄の何がなんだかわからない異様なエネルギーの放出は異質なものがある。初期衝動とかそういう言葉では片付けられない、何がなんだかわからない凄みに溢れている。それにしても、当時まだ20代前半であっただろう佐藤幸雄の荒ぶる大人感は何なのだろう。怒れる若者ではなく荒ぶる大人なのだ。ただ、普通に喋ってるだけなのに。40代半ばに差し掛かった今の自分から見ても、何がなんだかわからない怖さと大人感がある。
安田監督が後に東京グランギニョル、雀鬼・桜井章一といった面々と関わっていくことから考えると、監督は得体の知れないスゴいものにどうしようもなく惹かれてしまう人なのではないだろうか。初期衝動の終わりという問題と何がなんだかわからない凄さを求めていった結果、作品において、当時のハードコアパンクの占める割合が大きくなってしまったのだろうなと感じる。