痴漢や売春もあった?江戸時代は混浴だった銭湯や温泉はどうして減少していったのでしょうか (1/3ページ)

Japaaan

痴漢や売春もあった?江戸時代は混浴だった銭湯や温泉はどうして減少していったのでしょうか

夏の終わり…寂しい気持ちにはなりますが、秋が訪れれば、また違った楽しみが日本には沢山待っています。秋から冬にかけて、温泉旅行を楽しみにしている人も多いでしょう。

みなさんは混浴温泉に入ったことはありますか?現在、混浴温泉の数は数百程度にまで減少しているそうですが、江戸時代は混浴が当たり前の時代で、江戸時代から増え始めた銭湯においても、混浴が一般的でした。

歌川芳幾「競細腰雪柳風呂」

江戸時代の頃は男女ともに、異性に裸を晒すことは今よりも寛容であったために混浴が成り立っていたのだろうと思いますが、なぜ混浴が減少の一途をたどることになったのでしょうか?それは、江戸幕府や明治政府の取り締まり、そして欧米からの厳しい批判の目によるところが大きいです。

江戸時代、異性に裸を晒すことが今よりもオープンだったと言っても、もちろん全く気にならなかったわけではありません。江戸時代、春画が大変な人気であったことからもわかるように、異性の裸に対しては性的な感情も抱くわけで、そうなると銭湯で痴漢行為に及ぶ輩も出てきます。

さらに湯女(ゆな)と呼ばれる、垢すりや体を洗うサービスを提供する女性を抱えた銭湯も増加していきました。湯女のサービスは徐々にエスカレートしていき、銭湯が売春の場と化していきます。

月岡芳年「全盛四季夏 根津庄やしき大松楼」

また、銭湯をデートスポットとして使用するカップルもいたようです。

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