瀬々敬久「映画作りって自分の手を汚しているってことですから」ヤンチャで居続ける人間力 (2/3ページ)
そこに上下関係や優劣はない。ジャンルにおいても全部そう。予算の大小も関係ないと思うんですね。
そんな平等である映画の世界で長い間、仕事ができている、一度も監督を辞めたいと思ったことがないというのはありがたいですね。
助監督の頃はつらいし、やめたいと思うこともあったけど、それを乗り越えられたのは仲間がいたから。ギロチン社じゃないけど、一緒にバカやって酒飲んで。すべてがキレイでかっこいいことではないですよ。もちろん、そこには憎悪もあって、愛憎半ばです。みんなそうだと思いますよ。
でも、そういうのが自分の作品作りにも反映されると思いますよ。そういうことって、すごく人間っぽいじゃないですか。人間がそこにいる。そんな清潔な、キレイなだけの世の中じゃない。そういうことの記憶が、今の自分たちが作っている作品には、反映されていると思います。そこで経験した肌触りっていうか、ざらつき感を含めて、今も反映されていると思います。
マジメな話、自分たちのやっていることが大したものだって思わないようにしているっていうのはあります。
若松孝二監督が出した本のタイトルが『俺は手を汚す』だったんです。それだなって思うんです。映画作りって自分の手を汚しているわけです。
法律に反することをやりかねない場合もある。これ言い方が良くないですけど、ギリギリのことやっているんです。撮影行為自体が人様に迷惑かけることですよ。街中で撮っていたら人を止めて迷惑をかけるっていう、絶対人に迷惑をかけながら僕らはやっているわけであって、そんなに偉そうな、文化とか芸術とかそこまでのつもりでやるものではないと、どこかで思っているというか。
でもそこには、自分の生命とはいわないですけど、自分の気概をかけてやる価値は一方ではあるよ、ということかな、と。だからその両方のバランスっていうのはあるし、自分でも常にそう思っています。
できれば、これからもヤンチャでいたいなとは思いますね。おさまりたくないっていうか。それは、やっぱり、映画って若い人のものだと思うところがあるので、そういう意味では自分自身ヤンチャであり続けたいと思いますね。