瀬々敬久「映画作りって自分の手を汚しているってことですから」ヤンチャで居続ける人間力 (1/3ページ)

日刊大衆

瀬々敬久「映画作りって自分の手を汚しているってことですから」ヤンチャで居続ける人間力

 今回の映画『菊とギロチン』は構想30年。やっと形になって世に出ることになったものです。今の映画業界はシネコンの時代になって作品がパズルのように入れ替わる。だから、入れ替えをしやすい、2時間くらいの作品が多いんですが、今回は自主制作みたいなものですから、3時間9分という長いものになりました。

 もともと、この企画を立ち上げたときは、「ギロチン社」というアナーキストグループへの思いっていうのがあった。いい加減な生き方をしてるけど、世の中を変えたいとか自由に生きたいと思ってる青春群像にすごく興味があったというか。

 自分が高校生の頃、大森一樹さんとか石井聰亙(現=石井岳龍)さんとか、昨日まで大学生だった人がいきなり映画監督になれるような時代がやってきた。映画で世の中を変える、映画が新しいことを起こすんだ、と若い人々が、それまでの助監督を何年もやってやっと監督になれるシステムを壊して新しい時代を作った。映画っていいなって。そういうところに憧れてきたところがあって、変化とか変革をのぞむ心があったんです。

 それと、アナーキストの生きざまにシンパシーを感じていたので、それをなんとか映画にしたいなと思ったのが最初の動機ですね。

 それが30年たって、一般の方とかに出資をしてもらいながら、やっと実現した。

 そうなってみると、映画の内容は関東大震災の直後に、仲間を国家に虐殺されて復讐に立ち向かう話と、女相撲の人たちが出会うという話ですけど、それが、東日本大震災以降の共謀罪とか、秘密保護法が成り立っていったように、段々締めつけがきつくなって、自由がなくなってくるような今の世の中とリンクしているのではと思うようになりました。

■映画を撮っていることを大したものだって思わないようにしてるんです

 僕はピンク映画出身なんですが、自分たちとしては普通の映画と同じように、ピンク映画でも面白さを伝えることができるというか、こういう映画ならではの冒険も実験もできるし、根性入れた作品もできると思ってやっていったっていうのは大きいと思いますね。

 その経験から言うと、映画の前ではどんな映画も平等だと思うんです。

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