生まれて一週間の命『透明なゆりかご』最後の悲しみと救い (2/2ページ)

日刊大衆

 そんなとき、灯里は亡くなった自分の母親のことを思い出していた。母親は重い病気で、灯里が幼い頃、ずっと集中治療室に入っていた。厚いビニールカーテン越しにしか会えず、母に触れることができなかった悲しさを思い出した灯里は、自分の子が生まれたとき、延命治療を選択すれば、おそらく同じ思いをするだろうと考えた。

 夫婦はトモヤの治療をせず、最期の一週間を由比産婦人科で、3人で過ごさせてほしいと由比に願い出る。2人の決断を受け、由比や看護師たちも準備を整え、全員でトモヤをみとる覚悟を決める……。

 産婦人科で起きる真実を描いたこのドラマは、毎回涙を流さずに見ることができない内容だった。しかし、これは現実に現場で起こっている出来事だ。今回は、生まれる前に子どもを諦めるか、生まれても一週間の命を延命治療するか、自然に任せるかという、過酷すぎる決断を突きつけられる夫婦が登場する。

 母親である灯里は、最初から最後まで悩み続けていた。その心情が伝わり、見ているこちらも胸が苦しかった。夫婦が「最期をみとる」という決断をしたとき、待ち受けるだろう苦しいラストに、気持ちが重くなった。自ら決断し、一週間、夫とともに子どもの短い命を見守った灯里だったが、トモヤが息を引き取ると、本当に自分の決断は正しかったのかと後悔を口にする。

 アオイは、そんな灯里に対し「私はうれしかったです。母にギュッてしてもらえたとき、すごく。子どもがお母さんにしてもらいたいことなんて、それくらいなんじゃないでしょうか」と、自分の考えを語る。抱きしめるという行為は「愛している」という言葉以上に相手に伝わるものだ。“注意欠陥多動性障害”という発達障害で「人の気持ちが分からない」ことに悩み続けてきたアオイだからこそ、出てきた言葉だったのかもしれない。しかし、その言葉に灯里は救われたはずだ。

 このドラマによって、出産はもちろん、女性たちが抱えるさまざまな事情にも気づかされた。そのことに目を向けさせてくれたという意味でも、本当にたくさんの人に見てもらいたいと思えるドラマだった。

※画像はNHK『透明なゆりかご』番組公式サイトより

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