『飯を腹いっぱい喰いてぇ!』食にまつわる教訓が詰め込まれた昔ばなし「三合めし四合だご」

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『飯を腹いっぱい喰いてぇ!』食にまつわる教訓が詰め込まれた昔ばなし「三合めし四合だご」

皆さん、お米食べていますか?

最近はパン食の方も多いと聞きますが、やっぱり「日本人ならコメの飯」という方もまだまだ多いと思います。しかし、コメの飯がいくらでも当たり前に食べられるようになったのは、つい最近のこと。

今回はそんな、腹いっぱいのコメの飯を夢にまで見た、とある男の昔ばなしを紹介したいと思います。

働けど、働けど……いつも「ひだりぃ」男がおりまして。

昔むかし、日向国(ひゅうが/現:宮崎県)のとある村に、大喰らいの男が住んでおりました。男はいつも「ひだりぃ、ひだりぃ」と言っていたので、本名ではなく「ひだりぃどん」と呼ばれていました。

ちなみに「ひだりぃ」とは「ひもじい、ひだるい、空腹」という意味です。

このひだりぃどん、決して怠け者ではなく、いつもせっせと田を耕し、米作りに精を出してはいましたが、米はみんな年貢(税金)にとられ、百姓の手元に残るのは、腹持ちの悪い稗(ヒエ)や粟(アワ)などの雑穀ばかり。

ヒエやアワと言うと、あまり馴染みがないかも知れませんが、筆者の経験では小学校の頃、ニワトリのエサによくあげていました。やせた土地でも育つので助かりますが、米ほどたくさんは穫れませんし、肝心の味も米に比べて今一つ。

そんな訳で、今日もひだりぃどんは「ひだりぃ、ひだりぃ」と言いながら、決して自分の口には入らない米を、汗水流して育てるのでした。

「一度でいいから、コメの飯を腹いっぱい喰いてぇ!」

そんなひだりぃどんの不満が、ある日ついに爆発しました。ある頃から、夜中になるとひだりぃどんが村を抜け出し、クワを担いで山の中へ入っていく姿が目撃されるようになりました。

村の衆は日に日にやつれていくひだりぃどんが心配になり、ついにある夜、村の一人が山へ入っていくひだりぃどんを尾行。真っ暗でうす気味悪い山奥に、ついにひだりぃどんの居場所を突き止めました。

何とひだりぃどんは、誰も来ない山奥に「隠田(かくしだ)」を作っていたのでした。

隠田:命がけの「ヤミ米」づくり

「隠田」とはお上に届け出ていない田んぼのことで、年貢をとられたくない百姓による一種の脱税行為。

基本的に、百姓が作った田んぼにはすべて年貢が課せられるため、隠田はもちろん犯罪行為であり、バレれば田んぼは没収され、打ち首は免れないほどの重罪です。

そうです。

ひだりぃどんは「いくら米を作っても、すべて年貢で持っていかれてしまうなら、隠田で米を作って喰おう」と考えたのです。

(馬鹿野郎、とんでもねぇことしやがって!)

ひだりぃどんの隠田を発見した村人は、今すぐ止めさせようとも思いましたが、常日ごろ「ひだりぃ、ひだりぃ」と、辛そうに汗水流している姿を思い出すと、なんだか可哀想になって、黙っておくことにしたのでした。

そして、秋になりまして。

村では米が収穫され、すべて年貢に持っていかれました。

でも、ひだりぃどんの隠田だけは年貢を免れ、ひだりぃどんはある夜中に米を収穫。脱穀してヌカをとると、一升ばかりの白米がとれました。

ちなみに一升とは十合、一合は計量カップ1杯分(約180㏄)です。

輝くばかりの白米を袋に詰めてるといそいそと家に帰り、さっそくすべて炊きました。

「はじめチョロチョロ、なかパッパ。ブツブツ言うたら火を引いて、ひと握りのワラ燃やし、赤子泣いてもフタとるな」

とは、筆者も子供の頃に教わったかまどの火加減ですが、うまくすれば四半刻(約30分)ばかりで炊き上がり、蒸らし終えれば、さぁお待ちかね。

飯椀にこんもりと盛られた銀シャリ、まさしく夢にまで見た光景。

「いただきます」

それからと言うもの、ひだりぃどんは一心不乱に米の飯を掻き込みました。

まるまる一升、掻き込んだそうです。

「三合めし四合だご」

あくる日。

いつもなら朝一番に起きて野良仕事に出てくるひだりぃどんが、お天道様が真上に昇っても家から出てきません。

さすがに心配した村人たちが様子を見に行くと、ひだりぃどんは家の中で息絶えていました。釜の中に少しだけ残った飯粒を見て、以前に隠田の存在を目撃した村人が、その事を話しました。

「すると、ひだりぃどんは米の喰いすぎで死んだようじゃな」

ただでさえ腹を空かせ、日中の仕事に加えて隠田の世話までしていた過労状態で、一気に飯を掻き込んだことにより身体が栄養についていけず、死んでしまったのです。

しかし、せめてもの救いと言えば、念願だった米の飯を思いっきり喰えたからか、ひだりぃどんの死に顔は、それはもう満足げな笑みを浮かべていたそうです。

それからと言うもの、村人たちは隠田の存在を役人には知らせず、ひだりぃどんの亡骸を隠田のそばに葬り、毎年そこで穫れた米をお供えしたそうです。

昔から「人間が一度に喰える米の量は、雑炊なら一合、お粥なら二合、飯なら三合、団子(だご)にすれば四合」と言われており、一度に喰いすぎてはならない、という教訓を伝えるべく「三合めし四合だご」という物語が、今日まで伝えられています。

終わりに・米が喰えるありがたさ

「ハラ減った。オニギリ食いたーい。25日米食ってない」

近年、そう書き遺して餓死された事件が報道されましたが、極限まで飢えてしまうと、どんな豪華な食事よりも、米の飯を食いたくなるのが日本人。

お金さえ出せば何でも買える・食べられるなんて、決して当たり前ではないのです。

かつて腹いっぱいのご飯を夢にまで見た人々がいたことを思いながら、心行くまで味わって欲しいと思います。

※参考文献:
日本児童文学者協会『宮崎県の民話(ふるさとの民話23)』偕成社、1981年3月

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