ボクサー・山中慎介×バキ・板垣恵介の初対談、最強論を語り尽くす

日刊大衆

ボクサー・山中慎介×バキ・板垣恵介の初対談、最強論を語り尽くす

 世界王者に輝いた元プロボクサー・山中慎介と、“最強”を描き続けてきた漫画家・板垣恵介。フィールドは違えど、強さと向き合ってきた漢2人が、格闘談義から人生論まで語り尽くす!

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元プロボクサー山中慎介(やまなか・しんすけ)
1982年10月11日、滋賀県生まれ。専修大学時代はボクシング部の主将を務め、卒業後、「帝拳ジム」に所属。2010年、第65代日本バンタム級王者に。プロ入り後、無敗のまま、11年に、第29代WBC世界バンタム級王者となる。その後、12度の防衛に成功し、18年3月に引退を発表。

漫画家板垣恵介(いたがき・けいすけ)
1957年4月4日、北海道生まれ。陸上自衛隊入隊後、病による入院を機に除隊。91年、人気格闘漫画『グラップラー刃牙』が連載開始。『バキ』『範馬刃牙』『刃牙道』とシリーズを重ね、累計発行部数7500万部突破。TVアニメ『バキ』がNETFLIXにて先行配信、TOKYO MX1他にて放送中。10月4日より『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で『バキ』シリーズの新作『バキ道』が連載開始。『新装版バキ』第13、14巻が10月5日に発売。

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山中 そういえば、板垣先生と対談するのは初めてですよね。

板垣 そうだなあ。これまでは個人的なつきあいの中で、飯を食ったりしてきたけど。でもね、俺は実際に会う前から、ボクサーとしての山中選手には注目していたんだよ。

山中 そうなんですか⁉

板垣 俺が初めて山中選手を知ったのは、ビック・ダルチニアンとの試合がきっかけでさ。このビック・ダルチニアンってのは、抜群に強い選手だったから、対戦相手が日本人だって聞いて“ああ、こりゃ惨劇だ……、かわいそうに”なんて思ったの。で、俺はその試合、見なかったんだよね。日本人が負けるの見たくないし。結果を聞いて、びっくり。日本人が勝ったって。で、“誰だ、その男は⁉”ってなったんだよ。

山中 そうだったんですね。

板垣 そのあとにロハス(トマス・ロハス)との試合。すごかった。KOしたときの相手の倒れ方を見て、びっくりしたよ。つま先に顔から落ちるんだもの。あんな無慈悲なKO、10年に1回見られるかどうか……。

山中 手応えはなかったけど、倒れ方を見て決まったな、と。

板垣 そのときの山中選手が、カッコ良くてね。倒れた相手をチラッと見るだけ。助け起こすとかしないんだ。

山中 その頃は、まだ自分も今よりギラついていたときでしたから(笑)。

板垣 その後かな、実際に山中選手と会ったのは。電撃ネットワークの南部さんが参加していたV3のパーティで、電話つないでもらって……。

山中 その後すぐに食事をご一緒させていただいたんですよね。『グラップラー刃牙』から読んでいたので、その作者の方と食事できるのは、すごいことですよ。

板垣 俺もね、山中選手と会ってみたかったから。だってビック・ダルチニアンと闘ったときは判定勝ちだったけど、最後まで倒しに行きたがっていたっていうじゃない。なんてハートの強い選手だって思ってさ。

山中 そこで倒せなかった後悔は、その後の試合に生きましたね。ツニャカオの試合でも、あの経験があったからこそ、KOできたんです。

板垣 輪島(功一)選手も同じシチュエーションで行かなかったのを、ずっと後悔しているって話をしてくれたことがある。そういう選手は強くなる。やっぱり、みんなが見たいのは、勝者じゃなく勇者なんだ。そういう意味では山中選手は勇者なんだよ。そうそう、もう一つ、山中選手の強さを思い知った話がある。奥さんの沙也乃さんに聞いたんだけど、山中選手は試合に行くときでも、ジムに行くときでも、(テンションが)ぜんっぜん変わらないですよって言ってたの。

山中 普通、ボクサーって、試合前はけっこうピリピリしますからね。

板垣 そうだよ。減量するとピリピリするのは、半ば常識じゃない。具志堅(用高)さんも現役だった頃、試合前の減量中に、行きつけの喫茶店で1杯の水だかコーラだかを鬼気迫る顔でジーッと見てたって。具志堅さんですらそうなのに、変わらないってすごいよ。

山中 僕は結婚して子どもが生まれて、男として強くなれた部分もありますね。ボクシングを仕事と思えるようになったんです。家族を食べていけるようにしないといけない。それは僕の結果にかかっているわけですから。

板垣 太平洋戦争のときにね、若くて体力のあった若い男のほうがバタバタ死んで、生き残ったのは既婚者だったって聞いてる。俺も漫画家デビューが32歳で遅かったけど、家族がいて、絶対に潰れられないから、当たり前に頑張ったし、当たり前に頑張れた。それに、当時、俺の親父が倒れてさ。これで俺が潰れたら全員が潰れる状況だったんだ。でも、俺はそのとき、面白いことになってきたって思えたんだよ。当時の担当に「ここから這い上がれたら、絶対にカッコイイぞ」って言った覚えがある。

山中 そういう後のない危機感は、僕も常に持っていました。プロデビューの時点で、1敗したら引退しようって考えていましたから。結局、2つの引き分けはあったけど、チャンピオンになってからも常に危機感を持ち、それを楽しんで試合に臨めました。だから、強くなれた部分はあったと思います。僕は追い込まれなきゃダメなタイプなので、試合も強い相手と組んでもらうようにしていましたね。

板垣 山中選手は、なんか急に強くなって目立ち始めた印象があるんだよ。アマチュアの頃は、そうでもなかったでしょ?

山中 大学時代はサボってたって言うか、ボクシングに対する情熱がなかったんですよ。なんとなく消防士の試験も受けたけど、勉強もしてないから、当然落ちるわけです(笑)。大学の4年生で全国大会に出ても、練習はしてないんで負けました。そのときに後悔して。そこでプロになったんです。

板垣 プロ入りするとき、トップアマは鳴り物入りでジムへ入るけど、山中選手はそんな感じじゃなかったよね。

山中 当時の帝拳ジムは、アマでも実績を残したトップレベルばかりで、まったく目立たなかったですね。

 現在発売中の『週刊大衆』(10月15日&22日合併号)では引き続き、山中と板垣の“オトコ”対談を掲載している。

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