単身赴任の楽しみはやはりお酒?江戸時代の参勤交代での暮らしはどんなものだったの? (1/2ページ)
寛政12年(1635)の武家諸法度で、制度化された参勤交代。大半の大名が1年交代で、江戸と国許(くにもと)を往復していました。中には、半年交代や不定期の交代もあったそう。
キツすぎてお殿様が死亡!?超ブラックな江戸時代の参勤交代のリアル 参勤交代にかかる費用は相当なものでした大名の所在が国許であれ江戸であれ、正室や嫡子は江戸に住むことが決められていました。大名行列の人数は、150~300人が一般的でしたが、100万石の加賀藩前田家では4000人のだったというから、かなり目立ったでしょう。
楊洲周延「温故東の花第四篇旧諸侯参勤御入府之図」
これだけの大行列になったのは、家格を誇ろうとしたためと言われています。華美になるのを防ぐため、武家諸法度では行列の人数の削減を命じられたほど。
ちなみに中国・四国・九州の西国大名は、大坂までは船の利用が許可されていました。