美しき女武者!木曾義仲と共に戦いその最期を語り継いだ女武者・巴御前の生涯(上) (2/3ページ)

Japaaan

彼女の兄弟には、主君・義仲の乳兄弟として共に最期まで戦い抜いた今井兼平(いまいの かねひら)はじめ、義仲を全力で支えた豪傑たちが勢揃い。

まさに総出で「木曾の御曹司」義仲に忠義を尽くした一族と言えます。

巴のパートナー・木曾義仲の生い立ち

さて、ここで少し話がそれます。

義仲は木曾に土着していた人間ではなく、元は京の都から武蔵国(現:埼玉県+東京都)に赴任してきた源義賢(みなもとの よしかた)の嫡男として、久寿元1154年に生まれました。幼名は駒王丸(こまおうまる)と言います。

しかし駒王丸が2歳となった久寿二1155年、鎌倉から攻め込んで来た従兄(父の兄・源義朝の嫡男)である源義平(みなもとの よしひら。当時15歳)によって、父を殺されてしまいます(大蔵合戦)。

幼い駒王丸は悲しむ暇もなく、斎藤別当實盛(さいとうのべっとう さねもり)らによって保護され、乳母の実家である中原兼遠の元に匿われました。

言わば兼遠はじめ中原一族は駒王丸にとって「育ての家族」、信州木曾は「第二の故郷」となったのでした。

義仲、反平氏の挙兵へ

木曾義仲肖像、徳音寺所蔵。

それから25年間、駒王丸は中原一族によって厳しくも大切に鍛え上げられ、駒王丸は元服して義仲と改名、立派な若武者に成長していました。

そして治承四1180年9月7日、義仲は以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ。皇族による命令)を奉戴し、信州木曾の地より平家討伐の兵を挙げたのでした。

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