長嶋茂雄、巨人新監督・原辰徳との知られざる「絆」 (2/2ページ)

日刊大衆

「原を入閣させたのは、藤田元司元監督でした。当時、読売グループの首脳陣から“ポスト長嶋”の候補者選定を依頼された藤田さんは、迷うことなく原を選んだ。そして、現場の意向抜きでコーチに据えたんです」(前出のベテラン記者)

 藤田元監督は、ドラフト1位で4球団が競合した原を、自ら引き当てた人物。そして巨人の主軸へと育て上げた、いわば原の恩師だ。

「当時の原が、“藤田派”だったのは周知の事実。しかし、それでもミスターは“よく帰ってきてくれた”と原を快く迎え入れたといいます。それはひとえに“巨人を任せられる器”と、原を高く評価していたからにほかならない。だからこそ、巨人の将来のために惜しげもなく、自らの監督理論を伝授していったわけです」(前同)

 そんな長嶋氏の“英才教育”によって、原氏は指導者として成長していく。

「試合後には、監督室で2人、その日の采配を振り返っていました。原さんが“あの場面で、どうして、あのサインを出したのですか?”と質問すると、ミスターは戦国時代の武将や合戦のたとえを使って、戦術を丁寧に解説してくれたそうです」(前出の番記者)

 原氏が学んだのは戦術だけではない。FA制度を貪欲に活用して、中心選手を次々補強した長嶋氏のように、原氏も監督時代、FA補強には積極的だった。

「当時の長嶋監督が“なんでも欲しがる”とメディアに叩かれても、まったく意に介さなかったのは、“巨人は常勝でなくてはならない”という強い信念があったからです。そのミスター流の理念を、原監督はちゃんと受け継いでいるということでしょう」(前同)

 長嶋氏の後を受け、監督に就任した原氏は、2度の監督就任期間で、リーグ優勝7回、日本一3回という、川上哲治元監督に次ぐ実績を残すことになる。

 まさに“愛弟子”と言える存在になった原氏は、「すっかりミスターに心酔」(前出の番記者)し、〈僕は長嶋さんの縁でコーチになったわけではない。それでもよろこんで迎えてくれて、いろいろなことを教えてもらった〉と、感謝の言葉を口にしていたという。

 さらに現在発売中の『週刊大衆』11月12号では、退任した高橋由伸前監督、そして巨人監督就任が熱望される松井秀喜氏へのミスターからのメッセージを公開している。

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