龍馬暗殺の嫌疑で流罪、謎の死を遂げた最後の新撰組隊長「相馬主計」とは? (2/3ページ)
相馬も捕縛されますが近藤の嘆願により処刑を免れ、国元の笠間藩で謹慎の身となりますが脱走。上野彰義隊を経て仙台に転戦していた土方歳三と合流します。
近藤勇(国立国会図書館より)
錦絵「勝沼駅近藤勇驍勇之図」Wikipediaより
土方歳三は蝦夷共和国で「陸軍奉行並」に就任、激戦ののち明治2年5月11日に戦死し、新撰組残党も投降したのです。
函館戦争に参加した医師・高松凌雲の書簡によると、相馬が隊長に就任したのは明治2年(1869年)5月15日。戊辰戦争終結は5月18日なので、相馬が新撰組隊長だったのは、たった三日間だったことになります。
弁天台場 Wikipediaより
新島に流罪、東京にて謎の切腹明治3年(1870年)10月10日、相馬は伊東甲子太郎暗殺や坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられ、伊豆七島の新島に流されます。
そこで大工の棟梁である植村甚兵衛に身柄を預けられ、甚兵衛の次女マツと結婚して寺子屋を開きます。島では人望も厚く、師と仰がれ穏やかに過ごしていたようです。