龍馬暗殺の嫌疑で流罪、謎の死を遂げた最後の新撰組隊長「相馬主計」とは? (3/3ページ)

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それもつかの間、二年後(明治5年)の10月、流刑制度廃止のため赦免となり妻とともに東京・蔵前に移り住むことに。明治政府の役人として各地方に派遣され順調に昇進していきましたが、明治八年に突如免官されます。元薩長藩士らともめたなど色々憶測はありますが、本当の理由はわかっていません。

そしてある日、相馬は妻が出かけている間に、突然割腹自殺を遂げてしまうのです。相馬は妻に他言無用と言い残しており、辞世の句や遺書など残しておらず、また妻も詳細を語っていないことから、詳しい動機は今でも不明です。

出身の笠間藩は現在の茨城県笠間市にあり、尊皇思想の強い水戸藩の影響も強かったようです。戊辰戦争では新政府側につき、会津を攻めています。

相馬も尊皇思想が強かったようで、新島時代の明治四年と赦免後の明治六年に書かれた『贈友談話』では、幕府軍に汲みしたことを後悔しているような記述もあります。ならば、新政府で後ろめたい気持ちになる必要もないはずです。

妻と共に東京に出てきたときは明らかに「生きよう」と考えていたに違いなく、死を決意するからには深い理由があるのでしょうが、本当の動機は推し量るしかありません。

生粋の佐幕でもなく、かといって元薩長の人間には信用されず、精神的に行き場がなくなったのでしょうか?東京に出ず新島で暮らしていたなら、もしかして天寿を全うしていたかもしれません。

最後に、新島を離れるときに残した句を紹介します。

「さながらに そみし我が身は わかるとも 硯の海の深き心ぞ」

硯のように暗い海の底がわからないように、自分の思いは誰にもわからない、と言う意味のようです。句は石碑に記されています(新島村)。あなたはこの詩から、どのようなメッセージを受け取りますか?

参考文献:『新撰組始末記』(子母澤寛)、『贈友談話』日野市立新選組のふるさと歴史館蔵、『新選組全隊士徹底ガイド』(前田政記) トップ画像:「箱館大戦争之図」永嶌孟斎画 相馬主計

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